区分
基盤教養科目
ディプロマ・ポリシーとの関係
SDGs力
科学コミュニケーション力
研究力
カリキュラム・ポリシーとの関係
教養
応用力
実践力
科目間連携
総合心理力
カリキュラム全体の中でのこの科目の位置づけ
心理学は高校では全く学ばない学問である.全ての学生にとって,初めて学ぶ学問である.そうした心理学を学び始めるにあたって,本科目は、心とは何か,心理学とは何かということの概略を学び,心を科学として扱う方法に触れることを目指す.心理学には実験心理学を主体とした基礎的な分野,発達心理学,教育心理学,社会心理学などの応用的分野,さらには臨床的な分野などの様々な分野があるが,全ての分野に通じる心理学の基本的な考え方,根本思想が存在する.本科目では,心とはどういうものかを考え,心とは何かを問う学問である心理学とはどういう学問であるか,その基本的な考え方,方法論に触れ,また心理学が,そのもととなる哲学とどう関連し,歴史的にどのような発展過程をたどったのかの概略に触れる.この概論の基盤となる担当者(佐藤)の考えは,心理学は,さらに広げれば各時代の心理学における心の理解は,各時代の(主観的/客観的な)こころの記述法,測定法に基づくというものである.したがって,本概論の要諦は,心理的測定法として最も確立していると考えられる19世紀ドイツで成立した知覚研究の測定法,精神物理学的測定法を学ぶとともに,19世紀における,そうした手法の出現を支えた哲学の流れを理解するとともに,その後の心理学の考え方の発展(行動主義の心理学から認知的考え方,生理還元主義的な考え方)を理解することにある.具体的には,第1回,第2回では,心とは何か,心理学とは何かを論じ,第3回から第7回では心を科学的に,数量的に扱う手法(測定法)について学び,第8回から第12回で,そうした測定法の出現に至る心理学の歴史的な発展過程,哲学との関係,さらに,その後の行動主義,生理還元主義的な心理学の姿を学ぶ.その上で,13回,14回で,そうした原理,手法,測定法,さらに,その後出現した,脳波,単一細胞記録法から,現在のスタートも言える機能的核磁気共鳴法(fMRI)に至る生理学的な方法等,具体的な視覚心理学の場にどのように適用され,また心理学の基本的な考え方との関連でどのような意味を持つかを学ぶ.
科目の目的
本授業は、総合心理学科において専門科目を学び、さらにスキル科目を通して自ら研究を行うための基礎を築くことを目的とする。心理学概論では、「心」が人間にとってどのようなものとして捉えられ、どのような問いのもとで扱われてきたのかを古代から近代にかけてたどることを通して、心理学という学問が何を対象とし、どのような問題関心の上に成り立っているのかを理解することを目指す。今日、心理学は感覚、記憶、感情、思考、行動などを研究する学問として理解されているが、そうした対象は最初から現在のようなかたちで整理されていたわけではない。心は、生命の原理として、自己の内面として、行為に先立って揺れ動く主体として、また確実な認識の根拠として、それぞれ異なる時代の中で異なるかたちで問われてきた。本授業では、アリストテレス、アウグスティヌス、シェイクスピア、デカルトなどを手がかりとして、心がどのような対象として捉えられてきたのかを学ぶことにより、心理学とは単に現代の知識を覚える学問ではなく、人間の心をどのように理解するかという長い問いの積み重ねの上に成立している学問であることを理解する。さらに、心をめぐる多様な見方を比較し、それぞれの立場の違いとつながりを把握することを通して、後続の専門科目において心理学の諸領域を学ぶための基盤を形成する。
到達目標
① 心理学誕生以前の心の哲学と科学の歴史を通して、「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように変化してきたのかを理解し、アリストテレス、アウグスティヌス、デカルトなどに見られる主要な思想的立場を識別できる。また、心が『ハムレット』のような文学作品の中でどのように表現されてきたのかを識別できる。
② 心と身体の関係について、生命の原理、内面、主体、思考、機械論などの観点から、古代から近代にかけて提示された代表的な見方を理解し、それぞれの立場の差異と連続性を区別して把握できる。
科目の概要
本授業では、人間の「心」がこれまでどのように理解され、どのような対象として扱われてきたのかを、古代から近代にかけての代表的な思想や文学作品を通して学ぶ。授業の出発点となるのは、「心とは何か」という問いである。しかし、この問いに対する答えは時代によって大きく異なる。アリストテレスにおいて心は、感情や意識だけを指すものではなく、生きているものを生きているものとして成り立たせる生命の原理として捉えられる。アウグスティヌスにおいては、心は外から定義される対象ではなく、記憶や忘却、幸福を求める運動を通して内面へと探究される場となる。さらに『ハムレット』においては、心は独白し、ためらい、行為へ移ることができない主体の揺れとして劇的に表現される。そしてデカルトに至ると、心は揺らぐ世界の中でなお確実なものとしての「考える私」として捉えられ、心身関係の問題が近代的なかたちで立ち現れる。
このように本授業では、心を単一のものとしてではなく、生命、内面、主体、思考といった多様な観点から捉え、その理解の変化をたどることを通して、心理学という学問がどのような問いを受け継ぎながら成立してきたのかを学ぶ。これにより、心理学とは単に現在の知見を学ぶだけの学問ではなく、人間の心をどのように理解し、どのように扱うべきかをめぐる長い問いの歴史の上に成り立っていることを理解する。
科目のキーワード
心、心身関係、内面、記憶、主体、経験、生命、感情表現、生理学、精神物理学、実験心理学、民族心理学
授業の展開方法
本授業は、各回で指定する原典教材を受講者が読み、それをもとに講義によって内容の理解を深める方法で展開する。教材は、心理学成立以前の心の哲学と科学の歴史をたどるための重要な原典を中心とする。講義では、各テキストの背景、主要概念、歴史的意義を整理し、心理学という学問の成立へどのようにつながるかを明らかにする。また、本授業は、講義で扱った箇所をさらに深く読解する「心理学講読」と連動しているため、原典に直接触れながら学ぶことを重視する。各コマの最後には10問の小テストを実施し、7問を必ず理解し記憶すべき基本事項、2問を中程度の応用問題、1問を高度な理解を前提とする難問として構成する。
オフィス・アワー
高野裕治:前期:火曜1~5限
後期:火曜1~5限
伊藤義徳:※できるだけアポイントを取ってください
前期:火曜3限・4限
木曜1限・2限
後期:火曜3限・4限
木曜1限・2限
武田知也:前期:火曜1限
後期:火曜1限
横光健吾:前期:金曜4限
後期:金曜4限
科目コード
RB1020
学年・期
1年・前期
科目名
心理学概論
単位数
2
授業形態
講義
必修・選択
必修
学習時間
【授業】90分×15 【予習】90分以上×15 【復習】90分以上×15
前提とする科目
なし
展開科目
関連資格
公認心理師
担当教員名
高野裕治・伊藤義徳・武田知也・横光健吾
回
主題
コマシラバス項目
内容
教材・教具
1
心はなぜ難しいのか(アリストテレス1)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開することで、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その全体の出発点として位置づけられる。すなわち、以後の授業で扱う多様な心の理解──生命の原理としての心、内面としての心、主体としての心、感覚や感情としての心、さらには測定や実験の対象としての心──に先立ち、そもそも私たちはどのようなときに「心がある」と見なし、また「心とは何か」と問うことになるのかを確認する役割を担っている。本コマでは、アリストテレスを手がかりとして、心が外から直接に見える対象ではなく、運動、感覚、行為といった多様な働きを通してのみ捉えられる複雑な問題であることを明らかにする。また、心の問いが単なる内面の説明にとどまらず、「生きているとはどういうことか」という問いと深く結びついていることを学ぶ。さらに、動くものや反応するものに心を読み取る現代の研究にもふれながら、心の問題が古代の哲学にとどまらず、現在においてもなお重要な問いであり続けていることを理解する。これにより、心が直接に見えるものではなく、生きているものの働きを通して問われる対象であることを確認し、次回以降で扱う心の定義の議論へ入るための基礎を整えるとともに、本科目全体を貫く「心とは何か」という問いが、単純な定義によっては尽くせない根本問題であることを理解するための導入回となる。
コマ主題細目
① なぜ「心」はうまくつかめないのか ② 「心とは何か」という問いは何を問うているのか ③ 動きや感覚から心を考える
細目レベル
① 本コマではまず、「心とは何か」という問いがなぜ難しいのかを確認する。ただし、その難しさは、心がまったく見えないということではない。私たちは日常の中で、怒っている、怖がっている、ためらっている、考えている、といったかたちで他者の心を見ているつもりでいる。さらには、単純な動きやふるまいに対してさえ、意図や感情を読み取ってしまうことがある。しかし、そのとき私たちが見ているのは、心そのものなのか、それとも動きや表情や行為から心を推定しているのかは、すぐには明らかでない。心は石や木のように外から直接に見える対象ではなく、何らかの働きや現れを通してしか捉えられないのである。本細目では、心が「分かっているつもりなのに、うまく定義できない」対象であること、そしてその答えにくさ自体が心の問題の本質に関わっていることを理解することを目標とする。
② 次に、「心とは何か」という問いそのものを丁寧に検討する。この問いは、単なる語義の確認ではなく、心がどのような存在であるのかを問うものである。たとえば、心は身体の中にある何らかの「もの」なのか、それとも見る・感じる・考えるといった「働き」なのか。また、心は一つのまとまりをもつ単一のものなのか、それとも感情・記憶・思考のように異なる働きから成る複合的なものなのか。このように見ていくと、「心とは何か」という一つの問いの中には、複数の問いが重なり合って含まれていることが分かる。普段は一語で済ませている「心」という語が、実際には多様な意味と水準を含んでいるのである。本細目では、どの立場が正しいかをただちに決定するのではなく、心について考えるためには、まず問いそのものの構造を明らかにしなければならないことを理解することを目標とする。すなわち、「心とは何か」という問いは、見かけ以上に複雑で、複数の観点を含んだ問いであることを把握することが重要である。
③ 最後に、私たちはどのようなときに、あるものを単なる物体ではなく、生きた存在、あるいは心ある存在として捉えるのかを考える。何かが自ら動いているように見えたり、周囲に反応しているように見えたりするとき、私たちはそこに意図や感情を読み取りやすい。この点は、単純な図形の動きにさえ心を見てしまう現代の研究にも通じている。また近年では、心を agency と experience という二つの軸から捉える考え方も示されており、「どのような存在に心があると見なされるのか」という問いは、現在でも重要な論点であり続けている。しかし、こうした問題関心は、すでにアリストテレスにおいて、生きているものを生きているものとして示す働き、とくに運動や感覚に注目する議論として見ることができる。本細目では、心が直接見える対象ではなくとも、動きや感覚への着目を通して問われることを理解し、次回において心が生命の原理としてどのように定義されるのかを学ぶための準備を整えることを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
2
心の定義(アリストテレス2)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の最初の展開部に位置づけられる。第1回では、心が外から直接に見える対象ではなく、運動や感覚、行為といった生きているものの働きを通してのみ問われることを確認した。本コマでは、それを受けて、アリストテレスがこの問いにどのように答えようとしたのかを具体的に学ぶ。
とくに本コマでは、アリストテレスが心を定義する際に用いる可能態・形相・終局態という基本概念を整理したうえで、心を「可能的に生命をもつ自然的物体の第一の終局態」として捉える議論を考察する。ここで心は、身体の中にある別の物体としてではなく、生きている身体が生きて働いている在り方そのものに関わるものとして理解される。さらに、「目が動物であったとしたら、心とはその視力ということになるだろう」という比喩を通して、心と身体の関係が具体的に示される。これにより、心を単なる感情や意識としてではなく、生きている身体の原理として理解し、次回以降に扱う心の構造、能力、知覚、知性の議論へ進むための理論的基礎を整える。本コマは、本科目全体において、心を最初に体系的に定義しようとした古典的試みを学ぶ回であり、以後の心身関係や心理学成立史を理解する出発点として重要な位置を占める。
コマ主題細目
① 心は生命の原理である ② 形相と質料――身体と心の関係 ③ 「目が動物であったとしたら、心とはその視力ということになるだろう」――現実態としての心
細目レベル
① 本細目では、第1回で確認した「生きているものの働きから心を考える」という視点を受けて、アリストテレスが心をどのように定義しようとしているのかを見る。ここで重要なのは、心が単に「考えるもの」や「感じるもの」としてではなく、生きているものを生きているものとして成り立たせている原理として捉えられている点である。私たちはふつう、心というと意識や感情を思い浮かべがちであるが、アリストテレスにとって心はそれよりもはるかに広い概念であり、生きているものの生命活動そのものに関わっている。したがって、植物のように感覚や思考をもたない存在であっても、成長し、栄養を取り込み、生命を維持する限り、そこには心があると考えられる。ここで大切なのは、心が特定の現象に限定されるのではなく、それらの現象が成り立つ基盤として位置づけられていることである。本細目では、心を「意識」や「気持ち」といった狭い意味で理解するのではなく、生命そのものに関わる広い概念として把握することを目標とする。
② 次に、心と身体の関係を理解するために、アリストテレスの基本概念である「形相」と「質料」の区別を導入する。ここで示されるのは、心と身体が別々のものとして並んで存在するのではなく、一つの存在の中で異なる役割を担っているという考え方である。質料とは、そのものを構成する材料であり、身体にあたる。他方、形相とは、そのものがどのようにあるか、どのような働きをしているかという在り方である。アリストテレスは、心をこの形相にあたるものとして捉える。たとえば、身体は単なる物質の集まりではなく、生きているものとして一定の働きをもつ存在である。この理解によって、心を身体の中にある別の何かとしてではなく、身体が生きて働いているその在り方として考える視点が開かれる。本細目では、心と身体とを切り離された二つのものとしてではなく、一つの生きた存在の中で結びついたものとして捉えることを目標とする。
③ 最後に、アリストテレスの「目が動物であったとしたら、心とはその視力ということになるだろう」という比喩を通して、心の定義を具体的に理解する。ここで重要なのは、視力が目の中に別個の物体として入っているわけではなく、目が目として働くことを可能にしている在り方そのものだという点である。目は、ただ物質として存在しているだけでは、まだ本来の意味での目ではない。見ることができるという働きがあってはじめて、目は目として成り立つ。同様に、心もまた身体の中にある別の「もの」ではなく、生きている身体が生きて働いていることを可能にしている原理として理解されるべきである。このとき心は、単なる可能性ではなく、生きている身体がそのように成立している現実態として捉えられる。本細目では、この比喩を通して、心が身体から独立した実体ではなく、生きている身体の働きを成り立たせる現実態であることを理解することを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
3
心の構造(アリストテレス3)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、アリストテレスを通して心を生命の原理として捉える前半冒頭の議論のうち、心を定義する段階から、その内部構造を整理する段階へ進む位置にある。第2回では、心が生きている身体の形相であり、生命の現実態として理解されることを学んだ。本コマでは、その定義を受けて、心が単一のものではなく、栄養、感覚、思考といった複数の能力から成り立つ体系として把握されていることを考察する。とくに、これらの能力が単に並列するのではなく、下位の能力が上位の能力に含まれる階層的構造をなしていることを学ぶことで、心を感情や意識に限定せず、生命活動全体を支える機能的構造として理解する視点を確立する。これにより、次回以降に扱う知覚と知性の問題、さらに後の心身関係や心理学的機能理解へ進むための基礎が整えられる。本コマは、本科目全体の中で、心を「何か一つの実体」としてではなく、「複数の働きが秩序立って結びつく構造」として捉える視点を導入する回として位置づけられる
コマ主題細目
① 心の能力――栄養・感覚・思考 ② 心の階層構造――下位は上位に含まれる ③ 心とは機能の体系である
細目レベル
① 本細目では、心が単一のものではなく、複数の能力から成る構造をもっていることを考察する。アリストテレスは、心の働きを大きく分けて、栄養、感覚、思考といった能力として整理している。栄養の能力とは、成長し、栄養を取り入れ、生命を維持する働きであり、植物にも見られる最も基本的な能力である。感覚の能力とは、外界から刺激を受け取り、それに応じて変化する働きであり、動物に特徴的な能力である。そして思考の能力とは、個々の感覚を超えて、より一般的・抽象的な事柄を考える働きであり、人間に固有の能力として位置づけられる。ここで重要なのは、これらが単なる分類項目ではなく、生命活動がどのような段階を成しているのかを示す指標であるという点である。本細目では、心を感情や思考といった一部の働きに限定せず、生命活動全体に関わる複数の能力の体系として理解することを目標とする。
② 次に、これらの能力がどのような関係にあるのかを考える。アリストテレスは、心の能力が単に並列しているのではなく、階層的に構成されていると考える。すなわち、上位の能力は下位の能力を含んでいる。たとえば、人間は思考することができるが、同時に感覚をもち、さらに栄養を取り入れて成長する。したがって、人間は栄養・感覚・思考のすべての能力を備えている。他方、動物は感覚と栄養の能力をもつが、思考の能力はもたないとされる。また植物は、栄養の能力のみをもつ。このように、生命のあり方は段階的に構成されており、高い段階の存在は低い段階の能力を含み込んでいる。授業では、この関係を図式的に整理することによって、心の構造を視覚的にも理解できるようにすることが有効である。本細目では、心を一つのまとまりとしてではなく、階層的な構造として捉え、それぞれの能力の関係を説明できるようになることを目標とする。
③ 最後に、ここまでの内容を踏まえて、心をどのように理解すべきかをまとめる。重要なのは、心を何か一つの「もの」として考えるのではなく、複数の働きが組み合わさった体系として捉えるという点である。栄養、感覚、思考といった能力は、それぞれ独立した部品のように存在しているのではなく、一つの生命の中で相互に関係しながら働いている。したがって、心とはそれらの働きの総体であり、生命がどのように活動しているかを示す構造そのものだと考えられる。このように捉えるならば、心を身体の中の特定の場所に求める必要はなくなる。心はどこかにあるものではなく、生命が実際に行っている活動の在り方として理解されるからである。この視点は、後に心身関係の問題を考えるうえでも大きな意味をもつ。本細目では、心を単なる「気持ち」や「意識」としてではなく、さまざまな機能が組み合わさった活動の体系として捉え直すことを目標とする。それによって、心をより広い視野の中で考えるための準備が整えられる。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
4
知覚と知性(アリストテレス4)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、アリストテレスを通して心を生命の原理として理解する導入的ブロックのまとめにあたり、前回までに扱った心の定義と構造の議論を、知覚と知性という具体的な働きの分析へ進める位置にある。第2回では心を生きている身体の現実態として捉え、第3回ではその内部構造を栄養・感覚・思考の能力として整理した。本コマでは、それを受けて、とくに感覚が対象をどのように受け取るのか、複数の感覚がどのように統合されるのか、さらに思考が感覚とどのように異なりつつ関係するのかを考察する。これにより、心を単なる抽象的概念としてではなく、見る、聞く、感じる、考えるという具体的な働きの中で理解する視点を確立し、後に扱う内面、主体、感情、感覚研究の歴史的展開へつながる基礎を与える。本コマは、本科目全体の中で、心を生命の原理として捉える古典的理解から、知覚と知性という心理学的にも重要な問題へ橋渡しする回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 感覚とは何か――受け取るとはどういうことか ② 共通感覚――ばらばらの感覚はどのように一つになるのか ③ 思考(ヌース)――感じることと考えることの違い
細目レベル
① 本細目では、心の具体的な働きとして、まず感覚について考察する。私たちは日常的に「見る」「聞く」「触れる」といった行為を当然のように行っているが、それがどのような仕組みで成り立っているのかを深く考える機会は多くない。アリストテレスは、感覚を単なる刺激の受容としてではなく、対象の形相を受け取る働きとして理解する。ここでいう「形相を受け取る」とは、対象そのものがそのまま移動してくるという意味ではない。たとえば赤いものを見るとき、目の中に物体そのものが入るのではなく、「赤さ」という性質が感覚器官において受け取られるのである。このように、感覚は対象のあり方に応じて成立する変化として捉えられる。本細目では、感覚を単なる情報入力としてではなく、対象と感覚器官との関係の中で成り立つ働きとして理解することを目標とする。
② 次に、複数の感覚がどのようにして統合されるのかという問題を考える。私たちは、色、形、音、味といった異なる感覚内容を別々に受け取りながらも、それらを一つの対象として経験している。たとえばリンゴを見るとき、赤い色、丸い形、甘い味といった要素を別々に感じながら、それらを一つの「リンゴ」として理解している。アリストテレスは、このような統合を可能にする働きを「共通感覚」として考える。これは特定の感覚器官に属するものではなく、複数の感覚内容をまとめ、また異なる感覚が同じ対象に属していることを把握する働きである。ここで重要なのは、感覚が個別に存在しているだけでは知覚は成立せず、それらを一つにまとめる機能が必要であるという点である。本細目では、知覚とは単に刺激を受け取ることではなく、複数の感覚内容を統合して一つの対象として把握することまで含んでいると理解することを目標とする。
③ 最後に、思考、すなわち知性の働きについて考える。アリストテレスは、思考を感覚とは異なる特別な働きとして位置づける。感覚が個々の具体的対象を扱うのに対し、思考はそこから離れて、より一般的で抽象的なものを把握する。たとえば、個々の三角形を見ることによって、「三角形とは何か」という一般的な概念を考えることができる。このとき、思考は感覚内容を基盤としながらも、それを超えて働いている。また、思考は特定の感覚器官に依存しないという点でも、感覚とは異なる性質をもつ。もっとも、思考が感覚から完全に切り離されているわけではなく、感覚によって与えられた内容をもとにしながら、それを一般化し、抽象化する点が重要である。本細目では、「感じること」と「考えること」の違いを明確にし、思考が感覚を基盤としながらそれを超える働きであることを理解することを目標とする。これにより、人間に固有の知性の位置づけが明らかになる。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
5
内面への転回(アウグスティヌス1)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、アリストテレスによる心の定義と構造の議論から離れ、心を外から整理するのではなく、自己の内面へ入り込むことによって探究する新たな段階への転換点に位置づけられる。第1回から第4回までは、心を生命の原理、身体の形相、能力の体系、知覚と知性の働きとして捉えるアリストテレスの考え方を学んできた。本コマでは、それを受けて、アウグスティヌスにおいて心がどのように内面の問題として現れ、自分自身をたどることによって探究される対象となるのかを考察する。ここでは、心はもはや単に定義される対象ではなく、「愛するとは何か」「自分は自分をどこまで知っているのか」といった一人称的問いの中で現れるものとして理解される。これにより、次回以降に扱う記憶、忘却、幸福の問題に進むための基礎が整えられるとともに、心を外的構造としてだけでなく、内面的経験と自己探究の場として捉える視点が導入される。本コマは、本科目全体の中で、「心とは何か」という問いが生命の原理から内面の探究へと大きく方向転換する重要な節目として位置づけられる。
コマ主題細目
① 外ではなく内へ ② 愛するとはどういうことか ③ 自分は自分をどこまで知っているのか
細目レベル
① 本細目では、アウグスティヌスの文章が、それまで扱ってきたアリストテレスとは大きく異なる仕方で心を問うていることを確認する。アリストテレスは、心とは何かを定義し、その構造や働きを整理しようとした。これに対してアウグスティヌスは、心を外から説明するのではなく、自分自身の内面へ入り込むことから探究を始める。冒頭で語られる「私はあなたを愛しています」という言葉は、何が心であるかを一般的に説明するのではなく、「私は何をしているのか」という一人称的問いを立てるものである。この問いは、心がすでに明らかな対象であることを前提としていない。むしろ、自分の内をたどることを通じて、心が徐々に見いだされていくことを示している。本細目では、心が外にある客観的対象としてではなく、内に入ることによって探される対象として現れることを理解することを目標とする。
② 次に、「愛する」という経験そのものがどのようなものとして問われているのかを考える。「私はあなたを愛している」と言うとき、その「愛する」とは何を意味しているのか。この問いは、特定の対象について説明するためではなく、心がどのように働いているのかを明らかにするために立てられている。アウグスティヌスが示すのは、愛するとは何かを所有することではなく、何かへ向かう運動であるということである。私たちは常に何かを求め、欲し、引き寄せられながら生きている。この点で、心は静止した実体ではなく、つねに何かへ向かって動いている存在として理解される。本細目では、「何を愛しているか」だけでなく、「愛するということがどのように生じているか」に注目し、心が対象へ向かう運動として把握されることを理解することを目標とする。
③ ここまで読み進めると、「自分の心を知る」ということ自体が問題として現れてくる。自分の内面をたどろうとするとき、すでに自分のことを知っているのか、それともまだ知られていないのかが問われるのである。アウグスティヌスは、自分の内面を探りながらも、自分を完全に知っているとは考えない。自分の中にあるものは、最初からすべて明らかになっているわけではなく、考えたり思い出したりする過程の中で、はじめて姿を現すものがある。このとき、心はすでに知り尽くされているものではなく、探究される対象となる。自分の内にあるにもかかわらず、ただちにはつかめないものがあるという点が重要である。本細目では、自己が自分にとって必ずしも透明な存在ではないこと、そしてその不透明さが次に扱う記憶の問題へとつながっていくことを理解することを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
6
記憶の中へ(アウグスティヌス2)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論を踏まえつつ、第5回で導入したアウグスティヌスの内面探究をさらに具体化し、心を記憶の問題として深めていく回に位置づけられる。アリストテレスにおいて心は、生命の原理、身体の形相、能力の体系として整理され、知覚や知性の働きの中で把握されていた。これに対してアウグスティヌスにおいては、心は自分自身の内へ入り込みながら探究される対象として現れる。本コマでは、その流れを受けて、アウグスティヌスが「記憶の中へ入る」と語るとき、心がどのように一つの内的空間として捉えられ、そこに保存された像や経験がどのように思い出されるのかを考察する。これにより、記憶を単なる過去の保管場所ではなく、自己が自分自身を探索する動的な場として理解し、次回以降に扱う忘却、自己の不透明性、幸福を求める心の問題へ進むための基礎を整える。本コマは、本科目全体の中で、アリストテレス的な心の構造理解を踏まえながら、内面としての心を記憶の広がりと探索の運動の中で捉える回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 記憶の中に入るとはどういうことか ② 思い出すということ ③ 記憶の中にあるもの
細目レベル
① 本細目では、アウグスティヌスが「記憶の中へ入る」と語るとき、記憶がどのようなものとして理解されているのかを考察する。この表現は比喩のように見えるが、単なる言い換えではなく、記憶を一つの「場所」として捉える発想を含んでいる。記憶は単に過去の出来事を保存している容器ではなく、多くのものが収められ、必要に応じて取り出されうる広がりをもった空間として描かれる。アウグスティヌスはこれを「広大な宮殿」と呼ぶ。私たち自身も、何かを思い出そうとするとき、すぐに思い出せる場合もあれば、なかなか思い出せず、どこかを探しているように感じる。この経験は、記憶が単なる蓄積ではなく、探索される場として働いていることを示している。本細目では、記憶を単なる保存の装置としてではなく、内部に広がりをもち、そこに入っていくことのできる場として理解することを目標とする。
② 次に、「思い出す」とはどのような行為であるのかを考える。アウグスティヌスは、記憶の中を歩き回りながら目的のものを探す様子を描いている。この描写が示すのは、思い出すという行為が、単に保存されている内容を取り出すことではなく、内部を探索して見いだす運動だということである。何かを思い出そうとするとき、私たちはさまざまな手がかりをたどりながら、目的の記憶に近づいていく。この過程は、あらかじめ用意された答えを機械的に取り出すことではなく、自分の内部を動き回りながら探し当てる営みである。ここで重要なのは、思い出そうとしているものがまったく未知のものではないという点である。もし完全に知らないものであれば、それを探すこと自体ができない。したがって、思い出すとは「すでにどこかにあるもの」を探し当てることなのである。本細目では、記憶が静的な蓄積ではなく、探索されることによって現れる動的な場であることを理解することを目標とする。
③ 最後に、記憶の中には何が含まれているのかを考える。アウグスティヌスは、そこには天や地や海といった対象の「像」があると述べる。ここで言われているのは、現実の対象そのものではなく、それを見たり聞いたりした経験の痕跡である。私たちは目の前に対象がなくても、それを思い浮かべることができる。過去に見た風景や聞いた音を、現在において再び経験することができるのである。このことは、記憶が単なる保管ではなく、現在において再現する働きをもつことを意味している。記憶されたものは過去に属しているが、思い出されるときには現在の経験として現れる。本細目では、記憶が過去の保存であると同時に、過去と未来を結びつけ、現在を捉える働きであることを理解することを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
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該当なし
小テスト
復習・予習課題
7
記憶の深まりと忘却(アウグスティヌス3)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論を踏まえつつ、第5回・第6回で導入されたアウグスティヌスの内面探究と記憶論をさらに深める回に位置づけられる。アリストテレスにおいて心は、生命の原理、身体の形相、能力の体系として整理され、知覚や知性の働きの中で把握されていた。これに対してアウグスティヌスにおいては、心は自分自身の内へ入り込みながら探究される対象となり、とりわけ記憶はその中心的な場として現れる。本コマでは、記憶の中に感覚像だけでなく感情や知識も含まれていること、さらに忘れているはずのものをなぜ探し出すことができるのかという問いを通じて、心が自分自身に対して必ずしも透明ではないことを考察する。これにより、心を単なる機能や構造としてではなく、自分の中にありながら直ちにはつかめないものを含んだ多層的な場として理解し、次回以降に扱う幸福を求める心の問題へ進むための基礎を整える。本コマは、本科目全体の中で、アリストテレス的な心の構造理解を踏まえながら、内面としての心が記憶・忘却・自己探究の中でいっそう複雑なものとして現れることを学ぶ回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 記憶の中の多様なもの ② 忘れているものをどうして探せるのか ③ 自分の中にあるのに分からないもの
細目レベル
① 本細目では、記憶の中にどのような種類の内容が含まれているのかをさらに詳しく考える。前回は、記憶が一つの広がりをもつ場として捉えられていることを確認したが、本コマでは、その場が単に感覚像だけから成るのではないことを明らかにする。アウグスティヌスは、記憶の中には視覚や聴覚によって得られた像だけでなく、感情や知識のようなものも含まれていると述べる。たとえば、恐れや喜びといった感情は、現にその感情を経験していないときでも、記憶の中で思い起こすことができる。また、言葉の意味や数学的知識のようなものも、感覚そのものではないにもかかわらず、記憶の中に保持され、必要に応じて取り出される。このことから、記憶は単なる感覚の保存庫ではなく、異なる性質をもつ多様な内容が重なり合って存在する場であることが分かる。本細目では、記憶が一様なものではなく、多様な層から成る複合的な場であることを理解することを目標とする。
② 次に、忘却の問題を考える。アウグスティヌスはここで、「忘れているものを思い出すとはどういうことか」という一見逆説的な問いを立てる。たとえば、人の名前を思い出せないとき、私たちはそれを完全に知らないのではなく、「知っているはずだ」という感覚をもって探している。もし本当に完全に失われているのであれば、それを探そうとすること自体ができないはずである。それにもかかわらず、私たちは忘れているものを探し、やがて思い出すことがある。このことは、忘却が単なる消失ではなく、何らかの仕方でなお記憶に関わり続けていることを示している。忘却されたものは完全に無になったのではなく、見えにくくなり、取り出しにくくなっているにすぎないとも考えられるのである。本細目では、記憶と忘却が単純に対立するのではなく、互いに絡み合った構造をなしていることを理解することを目標とする。
③ 最後に、自分の内面にあるものが必ずしも自分にとって明らかではないという問題を考える。記憶の中には多くの内容が含まれているが、それらは常に意識されているわけではなく、必要になったときにはじめて姿を現す。このことは、自己が自分自身に対して完全には透明ではないことを意味する。自分の中にあるにもかかわらず、すぐには取り出せないもの、ただちには意識に上らないものが存在するのである。何かを思い出したとき、私たちはそれがもともと自分の中にあったことに気づく。つまり、それまで知らなかったというより、気づいていなかったのである。この構造によって、自己の内面は単純なものではなく、層をもち、探索を通じて徐々に明らかになる複雑な場として理解される。本細目では、自己が自分にとって不透明であるという事実を通して、心が一挙に把握される対象ではなく、探究を通じて段階的に明らかになる対象であることを理解することを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
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復習・予習課題
8
幸福を求める心(アウグスティヌス4)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論を踏まえつつ、第5回から第7回までのアウグスティヌスの内面探究を締めくくる回に位置づけられる。アリストテレスにおいて心は、生命の原理、身体の形相、能力の体系として整理され、知覚や知性の働きの中で把握されていた。これに対してアウグスティヌスにおいては、心は自分自身の内へ入り込みながら探究される対象となり、記憶、忘却、自己の不透明性の問題を通じて理解されるようになる。本コマでは、その流れをさらに進め、心がつねに何かを求める運動として存在していること、そしてその究極の志向として幸福がどのように現れるのかを考察する。ここでは、心は単なる構造や記憶の貯蔵庫ではなく、自らに欠けているものを求めつつ動き続ける存在として理解される。これにより、前半で扱ってきた「心とは何か」という問いは、生命の原理や内面の構造を問うだけでなく、心が何を求め、どこへ向かうのかを問う段階へと深められる。本コマは、アウグスティヌスの内面論を締めくくり、次回以降に扱う『ハムレット』において、そうした心が葛藤し、ためらい、行為できない主体としてどのように描かれるかへ接続する回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 人は何を求めているのか ② 幸福とは何か ③ 幸福はどこにあるのか
細目レベル
① 本細目では、記憶の探究の先に、心が何を求めているのかという問いがどのように現れるのかを考える。これまでの議論では、心は記憶をたどり、失われたものを探し、自分の内を探索するものとして示されてきた。しかし、そのような探索そのものが、すでに何かを求めていることを前提としている。何かを探すとき、その対象は完全に未知であるわけではなく、しかしすでに手の中にあるわけでもない。この中間的な状態において、心はつねに何かへ向かって動いているのである。ここで重要なのは、心が単に一定の内容をもつものではなく、何かを求める運動そのものとして存在しているという点である。本細目では、記憶や探究の運動が単なる知識の問題ではなく、「何を求めているのか」という問いと結びついていることを理解することを目標とする。
② 次に、アウグスティヌスが「幸福とは何か」という問いを立てることの意味を考える。ここで重要なのは、幸福が特定の対象ではなく、すべての人が求めているものとして提示される点である。人は誰でも幸福を求めているが、その内容については一致しない。ある人は富を求め、ある人は名誉を求め、ある人は快楽を求める。しかし、それらの違いにもかかわらず、誰もが「幸福になりたい」と考えている点では共通している。したがって幸福とは、個別の対象ではなく、さまざまな欲求の背後にある共通の志向として理解されるべきものである。この意味で幸福は、私たちにとってどこかですでに知られているようでありながら、完全には把握されていない。本細目では、幸福を単なる感情や状態としてではなく、人間のさまざまな行為を方向づける根本的な志向として理解することを目標とする。
③ 最後に、幸福がどこにあるのかという問題を考える。アウグスティヌスは、これまでの議論を踏まえて、幸福が単に外界にある対象でもなければ、単純に記憶の中に保存されているものでもないことを示す。ここで重要なのは、幸福が「すでに知っているが、完全には持っていないもの」として現れる点である。もしまったく未知のものであれば、それを求めることはできない。他方、すでに完全に所有しているのであれば、求め続ける必要はない。幸福はまさにこの中間の位置にあり、心をつねに動かし続けるものとして現れるのである。この構造は、記憶を探すときの経験とも重なっている。幸福もまた、どこかにあるものとして求められるが、単純に発見されるものではない。本細目では、心が単なる状態ではなく、幸福を求める運動として存在していることを理解し、そのことによってアウグスティヌスの内面論が記憶論を越えて志向性の問題へと広がっていることを理解することを目標とする。
キーワード
コマの展開方法
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復習・予習課題
9
揺れる心としてのハムレット(ハムレット1)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論、さらに第5回から第8回までのアウグスティヌスによる内面探究を踏まえつつ、心が文学作品の中でどのように劇的に表現されるかを学ぶ回に位置づけられる。『ハムレット』は中世以来の復讐譚の系譜を持つ物語であるが、シェイクスピアはそれを単なる復讐の物語としてではなく、独白し、ためらい、行為できない主体の劇として描き直した。本コマでは、この作品を通して、心が内面の深さとしてだけでなく、言葉、想像、逡巡、行為の遅延の中でどのように現れるのかを考察する。とくに、父の亡霊との出会いによって命じられた復讐が、ただちに行為へ移るのではなく、ハムレットの独白やためらいを通して複雑な内面の運動として現れる点に注目する。これにより、心は単に内面で探究されるだけでなく、現実の行為に向かおうとしながら揺れ動き、その揺れ自体が言葉として表現されるものとして理解される。本コマは、本科目全体の中で、心を文学的・劇的表現の中で捉え直し、次回の行為、死、受容の問題へとつなげる導入回として位置づけられる。
コマ主題細目
① あらすじ――何が起きているのか ② 父の亡霊――理性ではつかめないもの ③ To be, or not to be――考えることはなぜ人を止めるのか
細目レベル
① 本細目ではまず、『ハムレット』全体の筋を確認し、この作品をどのような視点で読むべきかを定める。デンマークの王子ハムレットは、父王の死後まもなく、母が叔父クローディアスと再婚したことに強い衝撃を受けている。やがて父の亡霊が現れ、自分を殺したのはクローディアスであり、復讐するよう命じる。こうして物語は、父の死の真相を知った一人の青年が、その命令をどのように受け止め、どのように行動するかを中心に展開する。しかし重要なのは、ハムレットがただちに復讐へ向かう人物ではないという点である。彼は怒り、悲しみ、疑い、考え込み、ためらう。敵を前にしてもすぐには動かず、自分の考えを独白のかたちで繰り返し語る。この意味で、『ハムレット』は単なる復讐劇ではなく、命じられた行為を前にして心がどのように揺れ続けるかを描いた劇として読む必要がある。本細目では、物語の細部を追うことよりも、ハムレットの心がどのように動いているかを見る視点を確立し、この作品を「揺れる主体の劇」として読み始めることを目標とする。
② 次に、父の亡霊の場面を通して、ハムレットの心にどのような変化が生じるのかを考える。夜の城壁に現れた亡霊は、単なる怪異として登場するのではなく、自分を殺したのが叔父クローディアスであることを告げ、ハムレットに復讐を命じる。この瞬間、ハムレットは単に父を失った息子ではなく、真実を知らされた者、そして行為を命じられた者となる。ここで重要なのは、亡霊の言葉が日常的な理性や常識の範囲では容易に処理できないという点である。もしその言葉が真実であれば、世界は表面に見えている通りではない。しかしそれが幻であれば、ハムレットは虚しい妄想に従うことになる。こうして、この場面では現実そのものの確かさが揺らぎ、その不確かさが後の迷いの出発点となる。また、亡霊は情報を与えるだけでなく、行為を命じるため、ハムレットは知るだけでは済まされず、何かをしなければならない立場に置かれる。本細目では、亡霊の場面を単なる怪奇ではなく、命令と不確実性が同時に心へ入り込む瞬間として理解することを目標とする。
③ 最後に、『ハムレット』の中でも最も有名な独白を通して、考えることと行為できなさとの関係を考察する。ハムレットはここで、「生きるべきか、死ぬべきか」と問いを立てる。しかし重要なのは、彼が単に死を望んでいるのではなく、苦しみに耐えるべきか、それともそれを終わらせるべきかを延々と考え続けているという点である。生きることにも理由があり、死ぬことにも魅力がある。しかし、死の先に何があるのかが分からない以上、人は決断することができない。未知のものへの恐れが、人を現在の苦しみにとどまらせるのである。ここでは、心は一つの方向へ進むのではなく、複数の可能性のあいだで引き裂かれている。したがってこの独白は、単なる死の哲学ではなく、考えることそのものが人をためらわせ、行為を遅らせる構造を示している。本細目では、To be, or not to be を単なる名言としてではなく、想像と逡巡によって引き裂かれる心の場面として理解することを目標とする
キーワード
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復習・予習課題
10
行為できない心、死に向き合う心(ハムレット2)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論、さらに第5回から第8回までのアウグスティヌスによる内面探究を踏まえつつ、第9回で導入した『ハムレット』の議論をさらに深め、心が行為、死、受容の問題の中でどのように現れるかを考察する回に位置づけられる。前回は、『ハムレット』が中世以来の復讐譚を素材としながら、シェイクスピアによって、独白し、逡巡し、行為へ移ることのできない主体の劇として描き直されていることを学んだ。本コマでは、その流れを受けて、人間そのものの価値が揺らぐ場面、復讐の機会を前にしてなお行為できない場面、さらに死を具体的現実として前にしたときに心のあり方がどのように変化するのかを考察する。これにより、心は単に揺れ動く内面であるだけでなく、想像しすぎることによって行為を遅らせ、死に向き合うことによってようやく受容へと向かうものとして理解される。本コマは、本科目全体の中で、心を葛藤と遅延の劇として捉えるハムレット論を締めくくり、次回以降に扱うデカルトの主体と確実性の問題へと接続する回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 人間とは何か――高く評価しながら、なぜ空虚になるの ② 祈りの場面――なぜ復讐できないのか ③ 骸骨と「let be」――死を前にして、人はどう構えるのか
細目レベル
① 本細目では、ハムレットが「人間とはなんと見事な作品か」と語る場面を通して、人間そのものの価値がどのように揺らいでいるのかを考察する。この独白では、人間は理性において高貴であり、能力において限りなく、行動においてすばらしく、理解において神に近い存在として称揚される。しかし、ハムレットはその直後に、そうした人間が自分には「塵の精髄」にしか思えないと述べる。ここで重要なのは、この急激な反転である。人間は高い存在であるはずなのに、その高さが現実にはまったく実感されず、かえって空虚で価値のないもののように見えてしまう。ここでは、生きるか死ぬかという個人的苦悩を越えて、「人間とはそもそも何か」という問いそのものが揺らぎ始めているのである。本細目では、この場面を人間賛歌の否定としてではなく、人間についての価値感覚そのものが崩れていく場面として理解することを目標とする。
② 次に、ハムレットがついに王を殺す機会を得ながら、それを実行できない場面を考える。クローディアスは一人で祈っており、無防備である。父の仇を討つという目的から見れば、この瞬間こそ最も行動すべき時である。しかしハムレットは、いま王を殺せば、その魂が救われてしまうかもしれず、それでは真の復讐にならないと考えて剣を下ろす。ここで重要なのは、ハムレットが恐れて逃げているのではなく、考えすぎることによって行為を止めているという点である。彼は行為の条件を吟味し、その結果を想像し、その正しさを考え抜くがゆえに、最も行動すべき瞬間に行動できないのである。しかも観客の立場から見れば、この判断は必ずしも正しいとは限らず、彼は真実を求めて考えた結果、かえって現実を取り逃している。本細目では、この場面を単なる逡巡としてではなく、思考が行為を妨げる決定的な瞬間として理解することを目標とする。
③ 最後に、墓場の場面から終幕直前のハムレットの言葉までを通して、死に向き合ったときに心のあり方がどのように変わるのかを考察する。墓場でハムレットは、ヨリックの頭蓋骨を手に取る。かつて親しく知っていた人物が、いまや一つの骨としてしか存在していないという事実によって、死はもはや想像の対象ではなく、目の前にある具体的現実として迫ってくる。王であれ道化であれ、最後には同じように死に至るという認識によって、人間の身分や栄光を支えていたものは大きく揺らぐ。しかし重要なのは、この場面が単なる虚無で終わらないという点である。終幕に近づいたハムレットは、「いまでなくとも、やがて来る。大事なのは備えができていることだ」と語り、その流れの中で「let be」と言う。ここでの「let be」は、思考を放棄することではなく、あらゆる条件を整えて完全に見通そうとする態度を手放し、避けられないものを引き受ける構えを意味している。本細目では、ハムレットの最後の境地を、単なる諦めではなく、考えすぎる心がようやく現実を受け入れる地点として理解することを目標とする。
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復習・予習課題
11
揺らぐ世界の中で考えること(デカルト1)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第10回までに学んできたアリストテレス、アウグスティヌス、『ハムレット』の議論を踏まえつつ、近代において「考える心」がどのように確実性の根拠として立ち現れるのかを学ぶ導入回に位置づけられる。前回までに、心は生命の原理、内面、葛藤する主体として多様に捉えられてきた。本コマでは、こうした心の問いが、十七世紀の世界像の動揺の中で、何を確かな知として信じることができるのかという問題へ移っていくことを考察する。とくに、学校知への失望や旅を通じた常識への不信を通して、デカルトが外部の権威ではなく、自らの理性に立ち返ろうとする過程に注目する。これにより、心は単なる生命、内面、葛藤の場であるだけでなく、揺らぐ世界の中で確実性を求めて考える主体として理解されるようになる。本コマは、本科目全体の中で、前半を締めくくるデカルト論への導入として、次回以降の方法的懐疑、コギト、心身二元論の議論へと接続する回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 時代背景――世界が揺らぎはじめた時代 ② 学んでも確かさには届かない ③ 世界という書物へ――旅に出る理由
細目レベル
① 本細目では、デカルトを単に「我思う、ゆえに我あり」と述べた哲学者としてではなく、世界そのものの見え方が大きく変わりつつあった時代に生きた人物として位置づける。十六世紀から十七世紀にかけて、ヨーロッパでは、それまで当然とされていた世界像が大きく揺らぎ始めていた。コペルニクスは太陽中心の宇宙像を提示し、ガリレオは観測によってその新しい見方を支持した。これによって、人間が立つこの地上が宇宙の中心ではないかもしれないという考えが現実味を帯びることになる。しかし、この新しい見方はすぐに受け入れられたわけではなく、ガリレオ裁判に象徴されるように、真理を語ることそのものが従来の権威と衝突する時代でもあった。本細目では、デカルトの問いが個人の内面からだけ生まれたのではなく、「世界は本当はどうなっているのか」「何を確かな知として認めうるのか」が大きく揺らいだ時代状況に根ざしていることを理解することを目標とする。
② 次に、デカルト自身が学校で多くの学問を学びながら、そこに確かな基礎を見いだせなかったことを考える。彼は語学、歴史、哲学、神学などを広く学んだが、学べば学ぶほど、自分がなお何も確実にはつかんでいないという感覚を深めていく。ここで重要なのは、デカルトが知識そのものを軽視しているのではなく、その土台の不確かさを問題にしているという点である。歴史や詩には価値があり、語学も必要である。しかし、それらをいくら積み重ねても、「これだけは疑いえない」と言えるものには届かない。哲学においては意見が対立し、諸学問もまた不確かな基礎の上に築かれているように見える。この意味で、彼の出発点は知の豊かさではなく、「学んでもなお確かさに届かない」という深い失望であった。本細目では、デカルトの哲学が、すでに答えをもつ者の自信から始まるのではなく、学問全体の基礎の不安から始まることを理解することを目標とする。
③ 最後に、学校知に満足できなかったデカルトが、なぜ「世界という大きな書物」を読もうとしたのかを考える。ここでいう世界とは、旅を通じて出会う人々の習俗や価値観、現実の出来事のことである。デカルトは、教師の言葉や古い書物だけでなく、実際の世界の中に身を置くことによって真理に近づけるのではないかと考える。しかし旅によって見えてきたのは、別の仕方での不確かさであった。国や文化が違えば、正しいとされることも当然とされることも異なっている。人々が広く信じていることが、そのまま真理の証拠にはならないのである。この経験によって、デカルトは学校の権威だけでなく、慣習や常識に対する信頼も失っていく。こうして、学校でも旅でも確かな基礎が得られないとすれば、もはや頼るべきは外部の権威ではなく、自分自身の理性しかないという認識へと至る。本細目では、旅が単に見聞を広める経験ではなく、常識や慣習の相対性を知り、自らの内で考え直す必要へとデカルトを導く契機であったことを理解することを目標とする。
キーワード
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該当なし
小テスト
復習・予習課題
12
炉部屋の思索と方法(デカルト2)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論、第5回から第8回までのアウグスティヌスによる内面探究、さらに第9回・第10回の『ハムレット』における揺れ動く主体の問題を踏まえつつ、第11回で導入したデカルトの問題意識を受けて、確かな知を得るために思考の方法そのものをいかに立て直そうとしたのかを学ぶ回に位置づけられる。前回は、学校知への失望や旅の経験を通して、外部の権威や常識への信頼が揺らぎ、デカルトが自らの理性に立ち返ろうとする過程を確認した。本コマでは、その流れを受けて、炉部屋での思索を中心に、多くの人の手で継ぎ足された知の体系をいったん見直し、自分の思考そのものを根本から組み立て直そうとする姿勢を考察する。さらに、明証的なものだけを受け入れること、問題を分割すること、単純なものから順序立てて進むこと、見落としなく点検することという四つの規則を通して、近代的な方法意識がどのように形成されるのかを学ぶ。これにより、心は単に考えるだけでなく、自らの思考を規律し、確実な知へ向かう方法を整える主体として理解されるようになる。本コマは、本科目全体の中で、次回以降に扱う方法的懐疑とコギトの議論へ進むための基盤を与える回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 旅の果てに、なぜひとりになるのか ② 古い家を壊す――方法的懐疑のはじまり ③ どう考えるべきか――四つの規則
細目レベル
① 本細目では、デカルトが旅を経た後、なぜ炉部屋にひとり閉じこもって思索するのかを考える。この場面は単なる伝記的逸話ではなく、外の世界を見た者が最後には自分の内で考え始めるという転回を示している。世界を見れば見るほど、人々の習俗も意見も食い違っており、何を基準に考えるべきかが不確かになる。だからこそ、判断の基準を自分自身の理性の中に求めざるをえなくなるのである。デカルトはここで、多くの人の手で継ぎ足された建物や都市は、ひとりの理性によって整えられたものほど秩序立っていない、という比喩を用いる。ここで問題にされているのは知識の量ではなく、それを支える構造である。偶然に積み重なった意見ではなく、統一的な原理のもとで組み立て直された知が必要だという認識がここに示されている。本細目では、炉部屋の場面を孤独な思索の逸話としてではなく、外の世界の多様性を経たうえで理性の基準を立て直そうとする場として理解することを目標とする。
② 次に、デカルトが「古い家を壊して建て直す」という比喩によって何を示そうとしているのかを考える。彼は、町全体を壊すことはできないが、自分の家であれば建て直すことができると言う。ここでいう「家」とは、自分がこれまで受け入れてきた意見や信念の総体である。つまり、社会や制度そのものを一挙に改革するのではなく、まず自分の内面にある考え方を根本から見直すことが問題となっている。この姿勢が、後に方法的懐疑と呼ばれるものの出発点である。重要なのは、懐疑が破壊そのものを目的としていない点である。デカルトは何でも否定したい急進家ではなく、一度疑ってみることによって最後まで残る確かなものを見いだそうとしている。本細目では、方法的懐疑を「何も信じないこと」としてではなく、「確かなものだけを残すために一度立ち止まって見直すこと」として理解することを目標とする。
③ 最後に、デカルトが思考を正しく導くために定めた四つの規則を考察する。すなわち、明証的に真と認められるものしか受け入れないこと、複雑な問題をできるだけ小さく分けること、単純なものから順序立てて進むこと、そして見落としがないように全体を点検することである。ここで重要なのは、これらが単なる技術的手順ではなく、確かな知へ至るための思考の規律として提示されている点である。この規則は特定の学問に限られるものではなく、自然研究にも、心の探究にも適用されうる。したがって、それは方法論であると同時に、近代に特徴的な知的態度そのものを示していると言える。本細目では、デカルトを単にコギトの哲学者として理解するのではなく、その前提として「考え方そのものの規律」を組み立てた人物として理解することを目標とする。
キーワード
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復習・予習課題
13
コギト――心の確実性(デカルト3)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論、第5回から第8回までのアウグスティヌスによる内面探究、さらに第9回・第10回の『ハムレット』における揺れ動く主体の問題を踏まえつつ、第11回・第12回で導入したデカルトの思索を受けて、「考える私」がどのように確実性の根拠として見いだされるのかを学ぶ回に位置づけられる。前回は、揺らぐ世界の中で確かな知を得るために、思考の方法そのものを立て直そうとするデカルトの姿勢と、そのための四つの規則を確認した。本コマでは、その流れを受けて、感覚、数学、夢、外界といった少しでも疑いうるものをいったん退けたとき、それでもなお失われないものとして「考えている私」がどのように現れるのかを考察する。とくに、「我思う、ゆえに我あり」というコギトの命題を通して、心が身体や世界に先立って確実なものとして把握される近代的主体の成立に注目する。これにより、心は生命の原理、内面、葛藤する主体であるだけでなく、疑いそのものの中でなお確実に存在する思考の主体として理解されるようになる。本コマは、本科目全体の中で、デカルト論の核心をなす回であり、次回の心身二元論と身体研究の可能性の議論へ進むための中心的な位置を占める。
コマ主題細目
① すべてを疑うとはどういうことか ② 「我思う、ゆえに我あり」――何が残るのか ③ 「わたし」とは何か――身体より先にあるもの
細目レベル
① 本細目では、デカルトが「すべてを疑う」という思考をどのような意味で実行しているのかを考察する。ここで疑われるのは感覚だけではない。感覚は私たちを欺くことがあり、数学的な推論でさえ人は誤ることがある。さらに、いま見ている世界そのものも、夢との違いを絶対に保証することはできない。こうして、少しでも疑いうるものは一度すべて退けられることになる。しかし重要なのは、デカルトが疑うこと自体を目的にしているのではないという点である。彼が求めているのは、何も信じられないという結論ではなく、疑ってもなお残るものを見つけ出すことである。少しでも疑いうるものを捨て去った後に、それでもなお失われないものがあれば、それこそが真理の出発点になる。この意味で懐疑は終着点ではなく、第一原理を探すための方法である。本細目では、「すべてを疑う」という操作を、何もかもを相対化する態度ではなく、確実性の条件を探るための手続きとして理解することを目標とする。
② 次に、すべてを疑おうとしたとき、何がなお残るのかを考える。デカルトは、たとえ世界が夢であっても、感覚が欺いていても、それらを疑っているこの私だけは消し去ることができないと気づく。このとき現れるのが、「我思う、ゆえに我あり」という命題である。ここで重要なのは、「ゆえに」が単なる論理的推論を意味しているのではないという点である。考えているということと、存在しているということとが、ここでは切り離せないかたちで一体に把握されている。私は考えている、そのことにおいて自分の存在を直ちに確信するのである。したがって、ここで見いだされたのは、世界や身体に先立って確実な「心の存在」である。本細目では、コギトを単なる有名な言葉としてではなく、「何をどう疑っても、考えている私だけは否定できない」という経験の構造として理解することを目標とする。
③ 最後に、コギトに到達したあとで、デカルトが「では、その私とは何か」と問い直すことの意味を考える。彼によれば、身体がなくても、外界がなくても、自分が存在するという確信は失われない。しかし、考えることを完全にやめてしまえば、自分が存在すると言う根拠もまた失われる。そこから、「私は考える実体である」という結論が導かれる。ここで大きな転換が起こる。私たちは通常、自分とは身体をもった存在だと考えるが、デカルトにとって最も確かな自己は、まず考える存在として現れる。身体は後から疑いうるが、思考していることそのものは疑えない。この順序は、近代における主体の成立と深く関わっている。本細目では、少なくともデカルトにおいては、心が身体の一部としてではなく、身体より先に確実なものとして現れていることを理解することを目標とする。これにより、次回の心身二元論の議論へ進むための基礎が整えられる。
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復習・予習課題
14
心身二元論から生理研究へ(デカルト4)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半の中で、第1回から第4回までに学んだアリストテレスによる心の定義と構造の議論、第5回から第8回までのアウグスティヌスによる内面探究、さらに第9回・第10回の『ハムレット』における揺れ動く主体の問題を踏まえつつ、第11回から第13回までのデカルトの思索を受けて、確実なものとして見いだされた心が身体との関係においてどのように位置づけられ、そのことが後の生理学的研究へどのような道を開いたのかを学ぶ回に位置づけられる。前回は、方法的懐疑の徹底の中で、「考える私」が疑いえない確実性として現れることを確認した。本コマでは、その流れを受けて、心と身体とが別種の実体として区別される心身二元論の成立を考察するとともに、身体が広がりを持つ物体として自然法則のもとで研究可能になる点に注目する。さらに、身体を機械として捉える発想と、それでもなお人間が単なる機械では尽くされないとされる点を通して、近代において心の確実性と身体研究の可能性とが同時に開かれていくことを学ぶ。これにより、心は身体から区別される思考の主体として確立される一方で、身体は独自に研究されうる対象として切り出されることが理解される。本コマは、本科目全体の中で、前半を締めくくり、後半で扱う生理学、精神物理学、実験心理学へとつながる重要な橋渡しの回として位置づけられる。
コマ主題細目
① 心と身体はどう違うのか ② 身体は機械として考えられるか ③ それでも人間は機械ではない
細目レベル
① 本細目では、デカルトが心と身体とをどのように区別したのかを考察する。デカルトは、考える私を見いだしたあと、心と身体とを異なる仕方で存在するものとして捉える。身体は広がりを持つ物体であり、場所を占め、分割することができる。一方、心は考えるという働きに本質があり、場所に依存せず、物体のようには分割されない。この違いから、心と身体は別種の実体であるという考え、すなわち心身二元論が成立する。ここで重要なのは、デカルトが単純に「心だけが大事だ」と言っているわけではないという点である。むしろ、心と身体を区別することによって、身体を身体として研究する道が開かれる。心がすべてを説明するのではなく、身体の働きには身体の働きとしての法則があると考えられるようになるのである。本細目では、心身二元論を単に精神と肉体を切り分ける思想としてではなく、身体研究を可能にした近代的発想として理解することを目標とする。
② 次に、デカルトが身体を機械として考えることによって、どのような研究の可能性を開いたのかを考える。彼は、理性的魂をいったん取り除いた人間の身体を想定し、それが物質だけから作られたとしても、呼吸し、循環し、外部刺激に反応し、さまざまな機能を果たしうると考える。ここで示されているのは、思考を必要としない身体の働きは、機械的な仕組みとして説明できるという発想である。この考え方は当時としてはきわめて大胆であった。身体は魂の神秘的な器ではなく、一定の法則に従って働く仕組みとして理解されうることになるからである。たとえば呼吸、循環、反応のような働きは、意識しなくても生じている。この点を切り出して考えることによって、身体の研究は神秘から離れ、自然学や生理学として発展する条件を得る。本細目では、身体機械論を人間を単純に機械扱いする思想としてではなく、意識を必要としない身体機能を自然法則のもとで研究する視点として理解することを目標とする。
③ 最後に、デカルトが身体を機械として考えながらも、人間そのものを完全な機械とは見なさなかった点を考察する。彼は、人間と動物や機械とを分けるものとして、言語と柔軟な理性を挙げる。どれほど精巧な機械であっても、状況に応じて意味ある言葉を自由に用いることはできず、未知の場面で柔軟に判断することもできない。ここに、人間の思考する魂の独自性があると考えられる。また、理性的魂は物質から自然に生じるのではなく、特別に創造されるものであり、身体と結びついて真の人間を構成するとされる。したがって人間は、「機械のように働く身体」と「考える心」の両方をもつ存在として理解される。本細目では、デカルトの結論が単なる二元論ではなく、「心は確かにある」「身体は研究できる」「その両方が結びついて人間になる」という三層の理解を含んでいることを把握することを目標とする。これにより、心理学の歴史においてデカルトが、心の確実性と身体研究の可能性とを同時に開いた人物であることが明らかになる。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
15
「心」とは何であったのか――前半のまとめ(1〜14回)
科目の中での位置付け
本科目は、前半において「心とは何か」という問いが古代から近代にかけてどのように立てられ、変化してきたのかをたどり、後半においてその問いが「心は数値化できるか」という問いへと展開し、心理学という学問が成立していく過程を学ぶ構成をとる。本コマは、その前半全体を総括するまとめの回として位置づけられる。第1回から第4回まででは、アリストテレスを通して、心が生命の原理、身体の形相、能力の体系、知覚と知性の働きとして捉えられてきたことを学んだ。第5回から第8回までは、アウグスティヌスを通して、心が記憶、忘却、幸福を求める内面として探究されることを学び、第9回・第10回では、『ハムレット』を通して、心が揺れ動き、逡巡し、行為へ移ることのできない主体として描かれることを考察した。さらに第11回から第14回までは、デカルトを通して、心が確実性の根拠としての「考える私」として現れ、同時に身体との関係の中で近代的に位置づけ直されることを学んだ。本コマでは、こうした議論を単に復習するのではなく、「心とは何か」という問いそのものが、生命の原理、内面、葛藤する主体、思考の確実性へとどのように変化してきたのかを整理し、それぞれの立場の違いと連続性を理解することを目指す。これにより、後半で扱う感覚、感情、身体、測定、実験の問題が、前半で積み重ねられた問いの延長上にあることを見通し、次回以降の「心は数値化できるか」という主題へ進むための基盤を整える。本コマは、本科目全体の構造を受講者が自覚的に把握し直すための節目として位置づけられる。
コマ主題細目
① 心はどのように問われてきたのか ② 心と身体の関係はどう考えられてきたのか ③ 「考える心」はどこへ向かうのか
細目レベル
① 本細目では、前半の講義全体を通して、「心とは何か」という問いそのものがどのように変化してきたのかを整理する。アリストテレスにおいて、心は生命の原理であり、身体と切り離されたものではなく、生きているものの働きの構造として示されていた。そこでは、心は感情や意識に限られず、栄養・感覚・思考を含む広い概念であった。これに対してアウグスティヌスでは、心はもはや外から定義されるものではなく、自分自身の内面へ入り込むことによって探られるものとなった。記憶は空間として描かれ、自己は自分に対して透明ではなく、幸福を求める運動としての心が現れた。さらに『ハムレット』では、心は定義や内面探究の対象であるだけでなく、迷い、考え、想像し、行為できなくなる主体の姿として示された。そしてデカルトにおいては、世界が揺らぐ時代の中で、何を確かな知と呼べるのかが問題となり、その中で「考える私」が確実なものとして取り出された。ここで重要なのは、心そのものが変わったのではなく、心をどう見るか、どう問うかが変わってきたという点である。本細目では、前半の講義全体を通して、「心」という一語の意味が固定されたものではなく、問いの立て方によってその姿を変えてきたことを理解することを目標とする。
② 次に、前半を通して繰り返し現れてきた心身関係の問題を総括する。アリストテレスにおいて、心は身体の外にある別の何かではなく、生きている身体の在り方そのものであった。心は身体と分離した実体ではなく、身体の形相として、生きることの働きと結びついていた。したがって、心を理解するためには身体との関係を無視することができなかった。しかしデカルトに至ると、この関係は大きく組み替えられる。コギトによって「考える私」が最も確かなものとして現れたあと、心と身体は別種のものとして区別される。身体は広がりを持つ物体であり、自然法則に従って研究できるものとなる一方、心は考えることに本質を持つものとして、身体とは異なる次元に置かれる。この転換によって、心は身体から独立したものとして強く意識されるようになり、同時に身体は機械として研究される道を開かれた。本細目では、アリストテレスとデカルトのどちらが正しいかを決めるのではなく、心と身体の関係そのものが歴史の中で異なる仕方で理解されてきたことを整理し、心理学の中心問題の一つとしての心身関係を理解することを目標とする。
③ 最後に、アウグスティヌス、ハムレット、デカルトのあいだに見られる一つの流れを整理する。アウグスティヌスでは、心は自分自身にとっても完全には明らかではなく、記憶の中をたどり、幸福を求めながら探究される対象であった。そこでは、自己はすでに単純なものではなく、自分の中にありながらすぐにはつかめないものを含んでいた。ハムレットになると、その複雑な自己はさらに劇的な形で現れる。人はただ内面を探るだけでなく、あれこれと先を想像し、可能性を考え、条件を吟味し、その結果として動けなくなる。ここでは、自己の複雑さは内面の深さとしてだけでなく、逡巡し、遅延し、行為を止める力として表れる。そしてデカルトは、このように揺らいだ世界と主体の中で、何を確かなものとして立て直せるのかを問う。そこから、「考える私」が最初の確実性として取り出されるのである。こうして見ると、前半の講義全体には、心が生命の原理として捉えられ、次に内面として探られ、さらに葛藤する主体として描かれ、最後に確実性の根拠として立て直されるという一つの運動があったと言える。本細目では、この流れを通して、「考える心」がどのように深まり、複雑になり、そして近代において主体として確立されていくのかを理解することを目標とする。これにより、後半で扱うダーウィン、フェヒナー、ヴントへ向かうための準備が整えられる。
キーワード
コマの展開方法
社会人講師
AL
ICT
PowerPoint・Keynote
教科書
コマ用オリジナル配布資料
コマ用プリント配布資料
その他
該当なし
小テスト
復習・予習課題
履修判定指標
履修指標
履修指標の水準
キーワード
配点
関連回
1.アリストテレスにおける心の問いと定義を正しく識別できる
受講者は、「心とは何か」という問いがなぜ容易に定義できないのかを理解したうえで、アリストテレスにおいて心がどのように問われ、どのように定義されるのかを正しく識別できなければならない。具体的には、心が外から直接に見える対象ではなく、動き、感覚、行為などの多様な働きを通して捉えられること、さらに生きているものを生きているものとして示す特徴として運動と感覚が注目されることを把握している必要がある。
そのうえで、アリストテレスにおいて心が、質料・形相、可能態・終局態という区別を前提として、可能的に生命をもつ自然的物体の第一の終局態として定義されることを理解している必要がある。また、心が身体という質料に対する形相であり、生きている身体をそのように成り立たせている在り方として捉えられていることを把握している必要がある。さらに、「目が動物であったとしたら、心とはその視力ということになるだろう」という比喩を通して、心が身体の中にある別の物体ではなく、生きている身体の働きを成り立たせる現実態として理解されることを把握し、第1回における問いの立て方と、第2回における定義の議論とを結びつけて説明できることを到達水準とする。
心の問い、生きているもの、運動、感覚、生命、可能態、第一の終局態、形相、質料、現実態、視力、アリストテレス
16点
1〜2回
2.アリストテレスにおける心の構造と知覚・知性の区別を正しく判別できる
受講者は、アリストテレスが心をどのような構造をもつものとして捉えたのかを正しく判別できなければならない。具体的には、栄養・感覚・思考という能力の区別、それらが階層的に関係していること、さらに知覚と知性とがどのように異なりつつ関係しているのかを理解している必要がある。心を単一の実体や単なる気分ではなく、生命活動を支える複数の機能の体系として把握し、知覚・共通感覚・知性に関する正しい記述を誤った選択肢と区別できることを到達水準とする。
能力、階層構造、知覚、共通感覚、知性
14点
3〜4回
3.アウグスティヌスにおける内面への転回と記憶の問題を正しく対応づけられる
受講者は、アウグスティヌスにおいて心がどのように内面の探究として現れたのかを、主要概念と正しく対応づけられなければならない。具体的には、心が外から定義される対象ではなく、自分の内へ入り込むことで探られる対象となること、記憶が単なる保存庫ではなく、自己が自分自身を探る場として描かれていることを理解している必要がある。「愛すること」「自己探究」「記憶の場」といった主題を混同せず、アリストテレスとの違いも含めて、正しい記述と誤った記述を区別できることを到達水準とする。
内面、自己探究、記憶、愛、アウグスティヌス
16点
5〜6回
4.アウグスティヌスにおける忘却・不透明な自己・幸福の問題を関連づけて把握できる
受講者は、アウグスティヌスの議論において、忘却、自己の不透明性、幸福を求める心がどのように関連しているかを把握し、正しい選択肢を選べなければならない。具体的には、忘れているものをなぜ探せるのかという逆説、自己の中にありながらすぐには分からないものがあること、幸福が既知でも完全には所有されていないものとして求められることを理解している必要がある。記憶論が単なる過去の保存ではなく、心の運動性や志向性へ広がっていく流れを、関連する概念どうしの結びつきとして正しく識別できることを到達水準とする。
忘却、不透明性、幸福、志向性、記憶
14点
7〜8回
5.『ハムレット』における揺れ動く主体と行為の遅延を具体例に即して判別できる
受講者は、『ハムレット』において心がどのように劇的に表現されているのかを、具体的場面に即して判別できなければならない。具体的には、亡霊の命令によって始まる復讐の物語が、独白、逡巡、行為の遅延、死への意識を通して、揺れ動く主体の劇へ変わっていくことを理解している必要がある。人物の行動や台詞を単に筋として覚えるのではなく、考えることがなぜ行為を止めるのか、また死と向き合うことで心の構えがどのように変化するのかを、作品中の代表的場面と正しく対応づけて識別できることを到達水準とする。
独白、逡巡、復讐、死、主体
20点
9〜10回
6.デカルトにおける方法的懐疑、コギト、心身二元論の連関を正しく識別できる
受講者は、デカルトがどのようにして確実な知を求め、方法的懐疑からコギトに至り、さらに心身二元論へ展開したのかを、論点相互の連関として正しく識別できなければならない。具体的には、学校知や常識への不信、思考の四規則、感覚や夢や数学を疑う操作、「考えている私」が疑いえないものとして現れること、さらに心が考える実体として、身体が広がりを持つ物体として区別されることを理解している必要がある。方法、確実性、主体、心身関係、身体研究可能性のつながりを混同せず、正しい記述を選択できることを到達水準とする。
方法的懐疑、コギト、心身二元論、身体機械論、デカルト
20点
11〜15回
評価方法
期末試験(100%)によって評価する。
評価基準
評語
学習目標をほぼ完全に達成している・・・・・・・・・・・・・
S (100~90点)
学習目標を相応に達成している・・・・・・・・・・・・・・・
A (89~80点)
学習目標を相応に達成しているが不十分な点がある・・・・・・
B (79~70点)
学習目標の最低限は満たしている・・・・・・・・・・・・・・
C (69~60点)
学習目標の最低限を満たしていない・・・・・・・・・・・・・
D (60点未満)
教科書
参考文献
実験・実習・教材費