区分 高度専門科目Ⅰ(総合犯罪心理系)
ディプロマ・ポリシーとの関係
SDGs力 科学コミュニケーション力 研究力
カリキュラム・ポリシーとの関係
教養 応用力 実践力
科目間連携 総合心理力
カリキュラム全体の中でのこの科目の位置づけ

科目の目的
 高度専門科目『新しいこころの計測学―脳活動と自律神経反応からみた心の働き』では、心理学における客観的測定の意義を理解したうえで、fNIRSや自律神経反応測定といった最新の心理生理学的計測技術の原理と実践を学び、実際のデータ取得から解析までの一連の研究プロセスに必要な知識を体系的に習得していく。その中で、実際に脳機能計測や自律神経反応計測を用いた研究上の留意点についても併せて学習していく。
 近年、認知脳科学や生理心理学の知見は臨床、産業、法律など様々な領域への応用が進んでいるが、これらの技術は人間の内的な心の過程を客観的に可視化できる点で、従来の質問紙法や行動観察とは大きく異なる測定アプローチである。また、単に脳の局所的活動を測定するだけでなく、認知機能のネットワークや心身相関を統合的に理解する視点が求められる。こころの計測について、神経科学的基盤、測定技術、実験デザイン、データ解析、倫理的課題という観点から現象を理解し、今日の認知神経科学で明らかになりつつある知見を捉えなおす機会を提供したい。そして、実行機能、言語、情動といった高次認知機能が脳活動や自律神経反応としてどのように現れるのかを実証的に捉えることで、人間のこころの働きに関する科学的理解の深化を目指したい。

到達目標
・fNIRSおよび自律神経反応測定の原理と計測方法を説明できる。
・研究デザインの立案、脳・自律神経反応データの取得、データの基本的解析、結果の解釈についてそれぞれ説明できる。
・認知神経科学的視座から人間の心の働きを理解できる。
・心理生理学的知見の臨床・産業・犯罪領域への応用可能性と倫理的課題を考察できる。

科目の概要
本科目では、fNIRS(機能的近赤外分光法)や自律神経反応測定といった最新の心理生理学的計測技術の原理と実践を学び、実際のデータ取得から解析までの一連の研究プロセスに必要な知識を体系的に習得する。これらの技術は、脳活動の血流動態変化や、心拍変動・皮膚電気活動・呼吸といった生理指標を通じて、人間の内的な心の過程を客観的かつ定量的に可視化できる点で、従来の質問紙法や行動観察とは大きく異なる測定アプローチである。
近年、認知脳科学や生理心理学の知見は臨床、産業、法律など様々な領域への応用が進んでおり、精神疾患の客観的評価、ニューロフィードバック療法、消費者行動研究、責任能力の判断など、実社会での活用が広がっている。本科目では、こうした応用の基盤となる、こころの計測について、神経科学的基盤、測定技術の原理、実験デザインの方法論、データ解析の手法、そして倫理的課題という多角的な観点から現象を理解し、今日の認知神経科学で明らかになりつつある知見を批判的に捉えなおす機会を提供する。特に、実行機能(作動記憶・抑制・切り替え)、言語処理(音韻・統語・意味)、情動と意思決定といった高次認知機能が、脳活動や自律神経反応としてどのように現れるのかを実証的に捉えることで、人間のこころの働きに関する科学的理解の深化を目指す。さらに、中枢神経系と自律神経系の双方向的連関を理解し、脳-身体統合の視点から心身相関を捉える神経内臓統合モデルなどの理論的枠組みを学ぶ。また、単一の測定手法の限界を認識し、fNIRSと自律神経反応を時間的に同期させたマルチモーダル・アプローチの重要性を理解することで、「脳を見ればすべてが分かる」という幻想を打破して、より包括的で統合的なこころの科学への展望的な視点を獲得する。
「こころは数値化できるか」、「こころとは何か」、「心理学概論」をはじめとする科目で扱った問いは、本科目において再び徹底的に考えてみることになるだろう。また、「神経・生理心理学」で扱った知識は、本科目の理解を大きく支えるといえる。応用領域として、「犯罪の認知心理学」での学びも本科目で扱う内容から再考してみると興味深いかもしれない。
担当教員は犯罪心理学者・認知脳科学者として、犯罪原因論や捜査心理学、矯正心理学に関連した内容にて、裁判官、警察官、保護観察官をはじめとする実務家への講演やメディアでの解説を行ってきた経験を有する。この科目では、これらの経験に基づいて講義を行う。

科目のキーワード
機能的近赤外分光法(fNIRS)、自律神経反応測定、心拍変動(HRV)、実行機能、神経内臓統合モデル、マルチモーダル・アプローチ、脳-身体統合、神経犯罪学
授業の展開方法
本科目では、LMSにアップロードする授業独自の教材(コマ用オリジナル配布資料)を使用して講義を進める。基本的には授業独自の教材をスクリーンに投影しながら、該当箇所の解説を行っていく形式で実施する。
オフィス・アワー
前期:水曜3限・4限
木曜昼~4限
後期:火曜2限~3限
木曜2限~3限

科目コード SE6010
学年・期 3年・後期
科目名 新しいこころの計測学(脳活動と生理反応からみるこころ)
単位数 2
授業形態 講義
必修・選択 選択
学習時間 【授業】90分×15 【予習】90分以上×15 【復習】90分以上×15
前提とする科目 こころは数値化できるか、こころとは何か(動物・人間・AI)、心理学概論、神経・生理心理学、犯罪の認知心理学
展開科目 総合犯罪心理学演習Ⅰ、総合犯罪心理学演習Ⅱ、総合犯罪心理学演習Ⅲ、総合犯罪心理学演習Ⅳ、卒業論文
関連資格
担当教員名 新岡陽光
主題コマシラバス項目内容教材・教具
1 オリエンテーション―こころを測るとは何か 科目の中での位置付け 本講は科目全体の導入として、「こころを測る」という行為の意味を根本から問い直す。心理学における測定の歴史的文脈を確認しながら、質問紙や行動観察に代わる生理学的・神経科学的アプローチがなぜ必要とされるのかを概観する。fNIRSや自律神経反応測定といった個別の技術を学ぶ前段階として、測定の哲学的・方法論的基盤を整える位置づけにある。科目全体の到達目標と授業計画を共有することで、学習者が各回の内容を体系的に位置づけながら主体的に学習を進められるよう動機づけることも志向する。
コマ主題細目 ① ガイダンス ② 心理学における客観的測定の意義 ③ 神経・生理心理学から認知脳科学へ ④ 認知脳科学の方法論
細目レベル ① 今回は初回ということで、まずは『テロリズムの心理学(以下、本科目)』の目的や概要、講義の進め方について説明する。具体的には、出席要件、講義の展開、質問の仕方、予習や復習の仕方について説明する。本学のルールに則り、出席を管理する。講義が始まってから10分以内にLMS上から出席の手続きを行う。他の科目同様、やむを得ない事情を除き、15回の出席が求められる。
②  「こころ」は本来、直接観察することができない内的過程である。人が何かを感じ、考え、判断するとき、そのプロセスは外部から直接見ることができず、測定対象としての「こころ」の捕捉は心理学が長年向き合ってきた根本的な困難である。内省報告や質問紙法は、主観的体験へのアクセスを可能にするという点で大きな意義を持つ一方、社会的望ましさバイアス、内省能力の個人差、意識上に上らない過程の不可視性といった限界を抱えている。行動観察は客観性を高めるが、行動の背後にある認知・情動プロセスを直接反映するわけではない。こうした限界を補う視座として、生理学的測定が位置づけられる。心拍数・血圧・皮膚コンダクタンスといった末梢性自律神経指標や、脳の電気活動・血流変化を捉える中枢性指標は、内的プロセスの客観的・定量的な代理指標となりうる。ただし生理指標もまた、心的状態を一対一対応で反映するわけではなく、解釈には慎重さが求められる点も冒頭から理解しておく必要がある。
 20世紀後半、認知心理学の興隆により、人間の情報処理過程が研究の中心的テーマとなった。注意・記憶・思考・言語といった高次認知機能を実験的に操作し、反応時間や正答率を指標として測定する方法論が確立された。さらに神経科学との融合によって認知脳科学が誕生し、認知機能の神経基盤を脳計測と行動実験の組み合わせで探る研究が急速に発展した。この過程で測定手段は急速に多様化した。EEGはミリ秒単位の時間分解能を持ち、fMRIは高い空間分解能で脳活動を可視化する。fNIRSは日常的な環境での計測を可能にし、眼球運動計測や表情分析、音声分析なども認知過程の客観指標として活用されるようになった。測定手段の多様化は、かつて「見えなかった」こころの諸側面に光を当てる可能性を開くと同時に、各手法の特性・限界の正確な理解を研究者に求めている。
 いかなる単一の測定手段も、こころの働きの全体を捉えることはできない。質問紙は主観的体験を、行動指標は外顕的反応を、自律神経指標は情動的・生理的反応を、脳活動指標は神経基盤をそれぞれ部分的に反映するにすぎない。人間の認知・情動・行動は相互に密接に関連しており、複数の測定レベルを統合して初めて、より包括的な理解が得られる。たとえば不安という心的状態を研究する場合、自己報告の不安得点、心拍変動、前頭前野の血流変化、行動上の回避傾向を組み合わせることで、不安の認知的側面、自律神経的側面、神経基盤、行動表出を多面的に捉えることができる。本科目で学ぶfNIRSや自律神経反応測定は、そうしたマルチモーダル測定アプローチの中に位置づけられる重要な測定ツールである。測定の多元性は方法論的冗長性ではなく、こころの多次元的性質に対応するための必然的選択であることを理解したい。

③  神経心理学は、脳損傷が認知・行動・人格に及ぼす影響を系統的に研究することで、心の機能の神経基盤を明らかにしようとする学問的伝統である。19世紀のポール・ブローカによる失語症患者の研究は、言語機能が左半球前部の特定領域(ブローカ野)に依存することを示し、脳と心の機能的関係を実証した嚆矢として広く知られている。その後、ウェルニッケによる感覚性失語の発見、ゴールドシュタインによる神経症状の包括的記述、ルリアによる神経心理学的検査体系の確立など、症例研究を中心とした知見の蓄積が続いた。脳損傷患者の系統的研究は、脳の特定部位が特定の認知機能に関与するという機能局在の考えを強固にするとともに、機能システム間の連合や代償機制という複雑な問題をも浮かび上がらせた。現代でも神経心理学的アプローチは、脳損傷・神経発達症・神経変性疾患などの臨床場面において重要な評価・介入の基盤となっている。
 生理心理学は、生理的指標を用いて心理現象の身体的基盤を明らかにしようとする分野であり、心理と生物学の橋渡しを担ってきた。20世紀初頭のウォルター・キャノンによる情動の生理的反応研究、ハンス・バーガーによるヒト脳波(EEG)の記録成功(1929年)は、この分野の画期的な出来事であった。その後、皮膚電気活動、心拍、筋電図、眼球運動など多様な末梢・中枢指標が心理実験に導入され、情動・覚醒・注意・ストレスといった心理状態の生理的相関が詳細に研究された。ポリグラフ検査に代表されるように、生理指標は法的・臨床的場面にも応用されてきたが、その解釈の妥当性については科学的議論が続いている。精神生理学(psychophysiology)という名称で独立した学会・学術誌が整備されたことで、この分野は方法論的洗練を重ね、現代の心理生理学的研究の礎を形成した。自律神経系の機能、内分泌系との相互作用、脳-身体連関という視点は、今日のこころの計測においても本質的な問いであり続けている。
 1980年代以降、神経科学・認知科学・計算機科学・言語学などが交差する領域として認知脳科学(cognitive neuroscience)が成立した。fMRIの開発(1990年代初頭)と普及は、健常者の認知過程をリアルタイムで可視化する手段を与え、脳機能研究に革命的な変化をもたらした。それまで患者研究に依存していた脳機能の知見が、健常者の実験的研究によっても検証・精緻化されるようになり、研究者コミュニティは爆発的に拡大した。認知脳科学の特徴は、認知機能の理論(情報処理モデル)と脳の機能的解剖・神経メカニズムを対応させようとする双方向的アプローチにある。記憶のコンソリデーション、注意のトップダウン制御、情動と認知の相互作用など、行動実験だけでは捉えきれなかった問いに神経科学的証拠が添えられることで、理解の精度が格段に高まった。fNIRSをはじめとする携帯型計測技術の発展は、実験室を超えた日常環境での認知脳科学研究を可能にし、エコロジカルな視点からの研究拡張につながっている。

④  実験認知心理学は、認知過程を操作可能な変数として扱い、統制された実験条件下で認知機能を測定する方法論的枠組みである。独立変数を厳密に操作し、反応時間・正答率・エラーパターンといった従属変数を計測することで、知覚・注意・記憶・言語・思考などの情報処理の性質を推論する。古典的な減算法(サブトラクション法)は、関心のある認知過程を含む課題と含まない統制課題の差分から目的とする処理の所要時間や神経活動を推定するもので、現代のfMRIやfNIRS研究にも受け継がれている方法論的基盤である。実験認知心理学の強みは、因果的推論を可能にする実験統制の精密さにあるが、実験室環境の人工性が日常的な認知とのギャップを生むというエコロジカル妥当性の問題も持つ。また、観察された行動データは複数の認知プロセスの統合的産物であるため、その解釈には理論的なモデルが不可欠である。本科目の実験デザインを学ぶうえで、実験認知心理学の方法論的思考は根幹的な素養となる。
 認知神経心理学は、神経心理学的症例と認知心理学的モデルを架橋する方法論的立場であり、脳損傷患者が示す選択的認知障害のパターンから、正常な認知システムの構造を推論しようとする。二重乖離(double dissociation)の論理はその中核をなす概念であり、課題Aは障害されるが課題Bは保たれる患者と、その逆のパターンを示す患者の比較から、AとBの処理が独立したモジュールによって担われることを示す。失読・失書・失認・失行・健忘症などの症状の精密な分析を通じて、読み・書き・物体認識・運動学習・記憶の認知モデルが精緻化されてきた。一方、症例研究には一般化可能性の制約、損傷の非精確性、残存機能を用いた代償戦略の問題もある。近年は、機能的脳画像研究との統合や、単一症例に加えた群間比較研究の採用により、認知神経心理学的方法論の精度は高まりつつある。この視点は、脳活動データの解釈において認知機能の構造を意識する習慣を養う。
 計算論的認知科学は、認知過程を数学的・計算的モデルとして形式化し、人間の認知の仕組みを情報処理の観点から理解しようとするアプローチである。デイヴィッド・マーの「計算論・アルゴリズム論・実装論」という三水準の分析枠組みは、認知科学における問いの立て方を体系化したものとして今日も参照される。ベイズ推定モデルは知覚・学習・意思決定への統一的な説明枠組みを提供し、強化学習モデルは報酬に基づく行動の獲得と神経基盤(特にドーパミン系)を結びつけることに成功している。また、深層学習をはじめとする人工神経回路網モデルは、視覚認識や言語理解の神経メカニズムの理解にも貢献しつつある。計算論的手法は、行動データや脳活動データに数理モデルを当てはめ、モデルパラメータを通じて個人差や群差を解釈するモデルベース分析においても実践的に活用されている。本科目において直接的な計算論的分析を行うわけではないが、脳活動データや自律神経データを解釈する際の理論的視座として、その考え方を理解しておくことは有益である。

キーワード ① マルチモーダル測定 ② 機能局在 ③ 精神生理学 ④ 減算法(サブトラクション法) ⑤ 二重乖離
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】第1回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。
【復習】第1回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。検索エンジンで「脳科学」と検索して、世間では脳科学についてどのようなイメージが持たれているのかをまとめておく。

2 脳の構造と機能―神経科学的基礎 科目の中での位置付け 本講は第1回で概観した認知脳科学の方法論的背景を受け、fNIRSや自律神経反応測定を実践的に学ぶための神経科学的基盤を固める回である。計測技術の原理や脳活動データの解釈は、脳の構造と機能に関する基礎知識なしには成立しない。各脳領域の役割とそのネットワーク的連関を理解しておくことは、第3回以降の計測技術論・実験デザイン・データ解析すべてに通底する前提知識となる。単なる解剖学的知識の習得にとどまらず、構造と機能を結びつけて思考する神経科学的視座の獲得を目指す。
コマ主題細目 ① 大脳皮質の構造と機能局在 ② 前頭葉・側頭葉・頭頂葉・後頭葉の役割 ③ 皮質下構造と神経伝達物質 ④ 脳のネットワークとしての理解
細目レベル ① 大脳皮質は厚さ約2〜4mmの神経細胞層であり、成人の脳では表面積を増やすために無数のしわ(脳回と脳溝)を形成している。組織学的には、ブロードマンが細胞構築の違いに基づいて52の領野に分類したブロードマン領野が今日も広く参照されており、fNIRSやfMRIの研究においても計測部位の同定に用いられる共通の座標言語となっている。大脳皮質における機能局在の考え方は、19世紀の神経心理学的症例研究(第1回参照)に端を発し、20世紀の脳外科手術中の皮質電気刺激実験(ペンフィールドのホムンクルス)を経て精緻化されてきた。一次感覚野(視覚野・聴覚野・体性感覚野)や一次運動野のように機能が比較的厳密に局在する領域がある一方、連合野と呼ばれる広大な領域は感覚・運動情報を統合し、言語・注意・思考・情動といった高次認知機能を担う。機能局在の概念は認知脳科学の基盤をなすが、単一領野が単独で機能を遂行するというモジュール論的な単純化には限界もあり、ネットワーク的理解との統合が現代的な視点として求められる。
② 大脳皮質は中心溝・外側溝・頭頂後頭溝などの主要な脳溝によって前頭葉・側頭葉・頭頂葉・後頭葉の4葉に大別される。前頭葉は脳の最前部を占め、運動制御(一次運動野・運動前野)に加え、計画・判断・抑制・ワーキングメモリといった実行機能を担う前頭前野が広大な領域を占める。意思決定や社会的行動、情動制御にも深く関与し、本科目でfNIRSの主要な計測対象となる領域である。側頭葉は聴覚処理の中枢(一次聴覚野・ウェルニッケ野)を含み、言語理解・物体認識・顔認識・記憶の固定(海馬との連絡)に関与する。頭頂葉は体性感覚の処理(一次体性感覚野)に加え、空間認識・注意の定位・数的処理・道具の使用といった機能を担い、視覚情報の空間的処理(背側経路)の要所でもある。後頭葉は視覚処理の中枢であり、一次視覚野から高次視覚野にかけて形態・色・動きが段階的に処理される。各葉の機能を独立して記憶するだけでなく、葉をまたぐ機能的連関(例:前頭-頭頂ネットワークと注意制御)を意識することが重要である。
③ 脳の機能は大脳皮質だけで完結するわけではなく、皮質下構造との協調によって初めて実現される。大脳基底核(線条体・淡蒼球・黒質・視床下核など)は運動の開始と抑制の調節、習慣学習、報酬に基づく行動選択に関与し、ドーパミン系との密接な関連から依存症や強迫行動の神経基盤としても注目される。視床はほぼすべての感覚情報の中継核として機能し、皮質との双方向的なループを形成して注意・覚醒・意識にも関与する。扁桃体は情動処理、特に恐怖や不安の評価と情動記憶の形成において中心的な役割を果たし、自律神経系を介して身体的情動反応を引き起こす。海馬はエピソード記憶の形成と空間ナビゲーションに不可欠であり、ストレス応答にも関与する。神経伝達物質としては、グルタミン酸(興奮性)・GABA(抑制性)という主要な対が皮質回路の基盤を担い、ドーパミン・セロトニン・ノルアドレナリン・アセチルコリンといったモノアミン系・コリン系が認知機能・情動・覚醒を広域的に調節する。これらの神経化学的基盤は、自律神経反応の解釈においても不可欠な知識となる。
④ かつての認知脳脳科学は個々の領野の機能を同定することに主眼を置いてきたが、現代の認知脳科学においては複数領域が動的に連携するネットワークとしての理解が不可欠となっている。fMRIの安静時機能的結合(resting-state functional connectivity)研究により、特定の課題を行わない安静時にも複数の脳領域が協調して活動するネットワーク(安静時ネットワーク)が存在することが明らかになった。代表的なものとして、自己参照的思考や心の理論に関与するデフォルトモードネットワーク(内側前頭前野・後帯状皮質・楔前部など)、注意や認知制御に関与する中央実行ネットワーク(背外側前頭前野・後頭頂皮質)、そして顕著性の検出と課題切り替えに関与するサリエンスネットワーク(前島皮質・前帯状皮質)が広く研究されている。これら複数のネットワーク間のバランスと切り替えが、日常的な認知・情動の調節を支えていると考えられている。fNIRSによる多チャンネル計測も、個々のチャンネルの活動だけでなくチャンネル間の機能的結合を分析することで、こうしたネットワーク的理解に接近することができる。脳をシステムとして捉える視点は、本科目全体を貫く重要な認識論的枠組みである。
キーワード ① ブロードマン・エリア ② 実行機能 ③ 扁桃体 ④ 神経伝達物質 ⑤ デフォルトモード・ネットワーク
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】第2回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。
【復習】第2回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。前頭葉・側頭葉・頭頂葉・後頭葉の位置の簡単な構造図と主要な機能を自分の言葉で書き込み、視覚的に記憶を定着させる。また、デフォルトモードネットワーク・中央実行ネットワーク・サリエンスネットワークについて、それぞれどのような脳領域から構成され、どのような認知機能に関与するのかを整理しておく。

3 脳機能イメージング技術の原理と特徴 科目の中での位置付け 第2回で習得した脳の構造と機能に関する知識を踏まえ、その活動を実際に計測するための技術的基盤を学ぶ。歴史的な脳損傷研究から現代の非侵襲的計測技術への発展を概観したうえで、EEG・MEG・PET・fMRI・fNIRSといった主要な脳機能イメージング手法の測定原理と特性を比較検討する。特に本科目の中心的技術であるfNIRSについては、その測定原理とヘモグロビン濃度変化の意味を詳細に扱う。各手法の時間・空間分解能のトレードオフを理解することは、第4回以降の実験デザインにおいて適切な測定手法を選択する判断の基礎となる。
コマ主題細目 ① 脳損傷研究から非侵襲的計測へ ② EEG、MEG、PET、fMRIの測定原理 ③ fNIRSの測定原理 ④ ヘモグロビン濃度変化とBOLD信号 ⑤ 時間分解能と空間分解能のトレードオフ
細目レベル ① 脳と心の関係を探る最も古典的な方法は、脳損傷患者の症状から機能を推測する神経心理学的アプローチであった。19世紀のブローカやウェルニッケに始まる失語症研究、20世紀前半のゴールドシュタインやルリアによる包括的な神経心理学的体系化は、脳の機能局在に関する膨大な知見を蓄積してきた。しかし症例研究には本質的な限界がある。第一に、脳損傷は血管支配領域や外傷の機序に依存して生じるため、研究者が関心を持つ特定の認知機能に対応する「理想的な」損傷部位を選ぶことができない。第二に、患者数が限られ、損傷部位や程度の個人差が大きいため、一般化可能な知見を得ることが困難である。第三に、脳損傷後の可塑性や代償機構により、損傷直後と慢性期では異なる機能パターンが観察される可能性がある。こうした限界を超えるべく、20世紀後半から健常者の脳活動を非侵襲的に計測する技術が急速に発展した。非侵襲的手法は倫理的制約が少なく、繰り返し測定が可能であり、発達的変化や学習効果の縦断的研究にも適している。本講では、こうした技術革新の系譜を理解したうえで、各手法の原理と特性を学ぶ。
② 脳波(EEG: Electroencephalography)は、頭皮上に配置した電極から脳の自発的電気活動を記録する手法であり、1929年のバーガーによる最初の記録以来、臨床・研究の両面で広く用いられてきた。ミリ秒単位の優れた時間分解能を持ち、事象関連電位(ERP)として認知過程の時間経過を詳細に追跡できる。ただし空間分解能は低く、深部構造の活動は捉えにくい。脳磁図(MEG: Magnetoencephalography)は、神経活動に伴う微弱な磁場を超伝導量子干渉計(SQUID)で検出する手法であり、EEGと同等の時間分解能を持ちつつ、空間分解能がやや優れている。しかし装置が高価で大規模であり、導入施設は限られる。陽電子放射断層撮影(PET: Positron Emission Tomography)は、放射性同位体で標識した薬剤を投与し、その分布から脳の代謝活動や神経伝達物質の動態を可視化する手法である。特定の受容体への結合を画像化できる点で他の手法にない利点を持つが、放射線被曝があるため繰り返し測定には制約がある。機能的磁気共鳴画像法(fMRI: functional Magnetic Resonance Imaging)は、神経活動に伴う局所的な血流増加を、血液中のデオキシヘモグロビンの磁気特性の変化(BOLD信号)として捉える手法であり、1990年代初頭の登場以来、認知脳科学研究の主流となった。数ミリメートル単位の高い空間分解能を持ち、全脳を同時に計測できるが、時間分解能は数秒単位であり、装置が高価で測定環境に制約がある。
③ 機能的近赤外分光法(fNIRS: functional Near-Infrared Spectroscopy)は、近赤外光(波長約700〜900nm)を用いて脳の血流動態を非侵襲的に計測する手法である。近赤外光は頭皮・頭蓋骨・髄液を透過し、脳表面の皮質に到達する。脳内のヘモグロビンは酸素化状態(オキシヘモグロビン: oxy-Hb)と脱酸素化状態(デオキシヘモグロビン: deoxy-Hb)で異なる光吸収特性を持つため、複数波長の光を照射しその吸光度変化を測定することで、oxy-HbとDeoxy-Hbの濃度変化を推定できる。測定の基本単位は、光を照射する発光プローブと検出する受光プローブのペアから構成される「チャンネル」であり、両プローブ間の距離(通常3cm)によって測定深度が決まる。fNIRSの最大の利点は、装置が小型・軽量で可搬性に優れ、測定中の身体運動や発話が比較的自由である点にある。これにより、発達研究(乳幼児)、日常的環境での計測(教室・職場)、運動課題との併用といった、fMRIでは困難な場面での測定が可能となる。一方で空間分解能はfMRIに劣り(約2〜3cm)、測定深度も皮質表面の約1〜2cm程度に限られるため、深部構造の活動は捉えられない。測定される信号には頭皮血流などの生理的ノイズも混入するため、適切な前処理とアーティファクト除去が不可欠である。
④ 脳の神経活動が生じると、その局所における酸素とグルコースの消費が増加し、それを補償するために血流が増加する。この現象は神経血管カップリング(neurovascular coupling)と呼ばれ、fMRIおよびfNIRSの測定の生理学的基盤となっている。興味深いことに、血流増加は代謝的需要を上回るため、局所的には相対的に酸素化ヘモグロビンが増加し、脱酸素化ヘモグロビンが減少する。fMRIのBOLD(Blood Oxygenation Level Dependent)信号は、脱酸素化ヘモグロビンの常磁性による磁場の歪みを検出するため、deoxy-Hbの減少が信号の増加として現れる。一方、fNIRSはoxy-HbとDeoxy-Hbの両方を独立に測定できる点が特徴であり、oxy-Hbの増加とdeoxy-Hbの減少という典型的なパターンが神経活動に対応する。ただし、頭皮血流や全身の血圧変動などの生理的要因もヘモグロビン濃度に影響を及ぼすため、課題に関連した変化と生理的ノイズを区別する必要がある。神経活動から血流反応までには数秒のタイムラグがあり、活動開始後約5〜6秒でピークに達する血行力学的応答関数(hemodynamic response function: HRF)が知られている。この時間遅れは、fMRIやfNIRSの時間分解能を本質的に制約する要因である。
⑤ 脳機能イメージング手法を選択する際には、時間分解能(temporal resolution)と空間分解能(spatial resolution)のトレードオフを理解する必要がある。EEGとMEGはミリ秒単位の時間分解能を持ち、認知過程の時間的展開を精密に捉えることができるが、空間分解能は数センチメートル単位にとどまり、深部構造の活動源を同定することは困難である。逆にfMRIは数ミリメートル単位の高い空間分解能で全脳を可視化できるが、時間分解能は血行力学的応答の遅れにより数秒単位に制約される。PETは空間分解能は比較的良好だが、時間分解能はさらに低く(数十秒〜数分)、放射線被曝の問題もある。fNIRSは、空間分解能(約2〜3cm)・時間分解能(サンプリング周期は高速だが血行力学的応答に依存)ともにfMRIとEEGの中間的な性能を持ち、可搬性と測定の自由度が最大の利点である。したがって研究目的に応じた手法の選択が重要となる。例えば、言語処理の時系列を詳細に調べたい場合はEEG/ERP、全脳の活動パターンを高精度で可視化したい場合はfMRI、日常的な対人相互作用場面での前頭葉活動を調べたい場合はfNIRS、といった使い分けが考えられる。また近年は、複数手法を併用するマルチモーダルイメージングのアプローチも増えており、各手法の長所を組み合わせることで、より包括的な脳機能理解が目指されている。本科目ではfNIRSを中心に扱うが、他手法との比較の中でその位置づけを常に意識することが重要である。
キーワード ① 非侵襲的計測 ② BOLD信号 ③ 機能的近赤外分光法(fNIRS) ④ 神経血管カップリング(neurovascular coupling) ⑤ 時間分解能・空間分解能(temporal/spatial resolution)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第3回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。
【復習】
第3回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。EEG・MEG・PET・fMRI・fNIRSの5つの手法について、測定原理・時間分解能・空間分解能・利点・限界を表形式で整理し、自分の言葉でまとめておく。特にfNIRSの測定原理(近赤外光の透過、oxy-Hb/deoxy-Hbの吸光特性、チャンネルの概念)について、図を描きながら理解を深める。可能であれば、fNIRSを用いた実際の研究論文を1本読み、どのような研究課題にどのように応用されているのか具体例を把握しておく。

4 fNIRS実験の研究デザイン 科目の中での位置付け fNIRSの測定原理を踏まえ、実際に研究を実施するための実験デザインの方法論を学ぶ。測定技術を理解するだけでは研究は成立せず、適切な研究仮説の設定、独立変数・従属変数の操作、統制条件の設計といった実験計画法の基礎が不可欠である。特にfNIRS研究で頻用されるブロックデザインとイベント関連デザインの特性と使い分けを理解することは、データ取得・解析の前提となる。また、人を対象とする研究には倫理的配慮が必須であり、研究倫理の基本原則とインフォームドコンセントの実践を学ぶことで、研究者としての責任ある態度を養う。
コマ主題細目 ① 実験計画法の基礎(独立変数・従属変数・統制) ② ブロックデザインと事象関連関連デザイン ③ 課題と統制条件の設計 ④ 倫理的配慮とインフォームドコンセント
細目レベル ① 実験研究の本質は、因果関係を明らかにすることにある。そのために研究者は独立変数(independent variable)を意図的に操作し、従属変数(dependent variable)への影響を測定する。fNIRS研究において独立変数は、課題の種類(例:単語の音読vs意味判断)、刺激の属性(例:情動語vs中性語)、実験条件(例:安静vs課題遂行)などであり、従属変数は特定脳領域におけるoxyHbやdeoxyHbの濃度変化として測定される。重要なのは、独立変数以外の要因を可能な限り統制し、観察された従属変数の変化が独立変数の操作によるものだと推論できるようにすることである。統制(control)には、実験条件と統制条件を設けて比較する条件間統制、参加者の個人差要因(年齢・性別・知能など)を均質化または測定する参加者統制、測定環境(照明・騒音・温度)を一定に保つ環境統制などが含まれる。fNIRS研究では、頭部の動きや発話に伴うアーティファクト、測定時刻による生理状態の変動、プローブ装着位置の個人差なども統制すべき要因となる。実験計画には、参加者間計画(異なる参加者群を異なる条件に割り当てる)と参加者内計画(同一参加者がすべての条件を経験する)があり、それぞれ利点と限界を持つ。参加者内計画は個人差の影響を統制しやすいが、練習効果や疲労効果といった順序効果への対処(カウンターバランス)が必要となる。こうした実験計画法の基礎は、心理学実験全般に共通する方法論であり、fNIRS研究においても厳格に適用される必要がある。
② fNIRS研究の実験デザインは、大きくブロックデザイン(block design)と事象関連デザイン(event-related design)に分類される。ブロックデザインでは、特定の課題条件を数十秒間継続するブロック(例:15秒間の計算課題)と、統制条件またはベースライン条件のブロック(例:15秒間の安静)を交互に繰り返す。この方法の利点は、信号対雑音比(signal-to-noise ratio: SNR)が高く、安定した脳活動変化を検出しやすいことである。また、解析も比較的単純で、ブロック間の平均的な活動差を統計的に検定すればよい。ただし、課題ブロック内で複数の認知プロセスが混在する場合、どの処理が活動変化を引き起こしたのかを特定することは困難である。イベント関連デザインでは、短時間(数秒以下)の刺激または課題試行を提示し、各試行に対する血行力学的応答を個別に測定する。fMRI研究で発展した手法であり、刺激タイプや反応の正誤によって試行を事後的に分類し、条件ごとの脳活動を比較できる。また、刺激間間隔(inter-stimulus interval: ISI)をランダム化することで、予期や準備の影響を最小化できる。しかし、fNIRSは血行力学的応答に依存するため、試行間隔が短すぎると応答が重複し、分離が困難になる。一般に10秒以上のISIが推奨されるが、これは実験時間の延長を招く。どちらのデザインを選択するかは、研究目的と測定条件に依存する。
③ fNIRS研究の成否は、課題と統制条件の設計の巧拙に大きく依存する。課題は、研究仮説で想定する認知プロセスを適切に誘発し、かつ参加者が遂行可能な難易度に調整されている必要がある。課題が容易すぎれば脳活動の差が検出されず、難しすぎれば失敗や諦めが生じて意図した認知プロセスが生じない。また、課題遂行には目標とする認知機能以外の要素(視覚処理・運動反応・注意の維持など)も同時に関与するため、これらを適切に統制しなければならない。統制条件(control condition)の設計は特に重要である。理想的には、目標とする認知プロセス以外のすべての要素を課題条件と共有し、目標プロセスのみが異なる条件を設定する。たとえば、言語処理を調べる場合、単語を音読する課題条件に対し、同じ視覚刺激を提示するが音読しない統制条件を設けることで、視覚処理や注意の影響を差し引いて言語処理固有の活動を抽出できる。ただし、完全な統制条件の設計は実際には困難であり、統制条件にも何らかの認知的処理が含まれうる点に注意が必要である。複数の統制条件を設けて段階的に要因を検討する多段階統制や、課題の難易度を操作して活動の用量依存性を調べるパラメトリックデザインも有用である。課題設計に際しては、先行研究で使用された標準的パラダイムを参考にしつつ、自身の研究目的に合わせた修正を加えることが実践的なアプローチとなる。
④ 人を対象とする研究は、参加者の尊厳・権利・福祉を最優先に考慮しなければならない。研究倫理の基本原則として、ヘルシンキ宣言やベルモント・レポートで示された自律尊重(respect for autonomy)、善行(beneficence)、無危害(non-maleficence)、正義(justice)の4原則が広く参照される。fNIRS研究は非侵襲的であり身体的リスクは極めて低いが、心理的負担(課題の難しさによるストレス)、時間的拘束、プライバシーの問題(脳活動データの取り扱い)などには配慮が必要である。インフォームドコンセント(informed consent)は、研究参加の自発性を保障するための必須のプロセスである。参加者に対し、研究の目的・方法・予想される利益とリスク・参加の任意性・途中辞退の自由・データの匿名化と守秘義務について、理解可能な言葉で十分に説明し、自由意思に基づく同意を文書で取得する。特に、未成年者や認知機能に障害のある方を対象とする場合は、本人に加えて保護者や代諾者からの同意取得が必要となる。また、研究実施前には所属機関の倫理審査委員会による承認を得ることが義務づけられている。倫理審査では、研究計画の科学的妥当性、リスク・ベネフィット比、インフォームドコンセントの手続き、個人情報保護の方策などが審査される。fNIRS実験では、プローブ装着時の不快感、長時間の課題遂行による疲労、実験中の体調不良への対応についても事前に計画しておく必要がある。研究倫理は単なる形式的手続きではなく、研究者としての誠実さと参加者への敬意を実践する営みである。
キーワード ① 独立変数・従属変数 ② ブロックデザイン(block design) ③ イベント関連デザイン(event-related design) ④ 統制条件(control condition) ⑤ インフォームドコンセント(informed consent)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第4回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。心理学実験法や統計学の授業で学習した実験計画法の基礎(独立変数・従属変数・統制変数・交絡変数など)を復習しておく。
【復習】
第4回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。ブロックデザインとイベント関連デザインの違いを、それぞれの利点・限界とともに表形式で整理し、どのような研究目的にどちらが適しているかを自分の言葉でまとめる。

5 fNIRS計測とデータ取得 科目の中での位置付け 本講は実験デザインを実際の測定に移行する実践的な回となる。fNIRSの原理や実験計画の知識があっても、適切な測定準備とデータ取得の技術がなければ質の高いデータは得られない。プローブ装着の技術、測定装置の操作法、データ保存の方法、測定部位の同定といった実務的スキルを習得する。特に、総合心理学部で使用するOEG-17APD装置の具体的な操作を学ぶことで、第6回以降のデータ解析や、将来的に自ら研究を実施する際の基盤を形成する。実習を通じて測定の実際を体験し、理論と実践の橋渡しを行う重要な回である。
コマ主題細目 ① プローブ装着と測定準備 ② 実際の測定と装置の使用法 ③ データの保存とバックアップ ④ 空間レジストレーション法
細目レベル ① fNIRS測定の質は、プローブ装着の正確さと慎重さに大きく依存する。測定開始前には、参加者の頭囲を測定し、適切なサイズのキャップまたはホルダーを選択する。プローブ装着においては、頭皮とプローブ先端の密着が最も重要である。髪の毛がプローブと頭皮の間に挟まると光が散乱し、信号品質が著しく低下するため、プローブ挿入前に髪をかき分け、プローブ先端が頭皮に直接接触するよう調整する。特に髪が長い・太い・多い参加者では丁寧な装着作業が必要となる。装着位置の基準点としては、国際10-20法に基づく解剖学的ランドマーク(鼻根・外耳孔・後頭結節)を用いる。前頭部の測定では、眉間の上方に位置するFpz(前頭極)を基準にすることが多い。プローブ配置は対称性を保ち、左右半球で対応する部位が測定できるようにする。装着後は、装置の信号品質インジケーターを確認し、すべてのチャンネルで十分な信号強度が得られていることを確認する。信号が弱いチャンネルがあれば、該当プローブの位置を微調整する。参加者には測定中の頭部運動を最小限にするよう教示するが、過度に緊張させると筋緊張によるアーティファクトが生じるため、リラックスした姿勢を保つよう促す。測定環境は、一定の照明(外光の変動を避ける)・温度・静寂性を保つことが望ましい。準備段階で参加者との良好なラポール形成も重要であり、測定手順を丁寧に説明し、不安を軽減することで協力的な態度を引き出すことができる。
② 総合心理学部で使用するOEG-17APD(Spectratech社製)は、連続波方式fNIRS装置であり、2波長(770nmおよび840nm)の近赤外光を用いてoxy-Hbとdeoxy-Hbの濃度変化を測定する。装置は本体ユニット、プローブホルダー、制御用PC、刺激提示用PCから構成される。測定開始前の準備として、装置の電源投入後、光源の安定化のため数分間のウォームアップを行う。制御ソフトウェアを起動し、参加者情報(ID・年齢・性別など、匿名化した識別情報)を入力する。プローブ装着後、ベースライン計測を行い、各チャンネルの信号品質を確認する。測定の実行では、実験プロトコルに従って課題を提示する。ブロックデザインの場合、課題ブロックと安静ブロックの開始・終了をトリガー信号として入力する機能を用いる。事象関連デザインの場合、各試行の刺激提示タイミングをトリガー情報として記録する。トリガー信号は後のデータ解析で課題条件と脳活動の時系列を対応させるために不可欠である。測定中は、参加者の様子をモニターし、過度の体動や眠気の兆候があれば適切に対処する。測定終了後は、データファイルが正しく保存されたことを確認し、プローブを慎重に取り外す。参加者の頭皮にプローブの圧痕が残ることがあるが、通常は短時間で消失する。測定後には参加者に感想や気づいた点を尋ね、デブリーフィングを行うことで、研究への理解を深めるとともに、次回以降の測定改善のフィードバックを得る。
③ 研究データは研究者にとって最も貴重な資産であり、その喪失は研究計画の根本的な破綻を意味する。したがって、データの保存とバックアップは、測定と同等に重要な作業である。OEG-17APDは、測定データを独自形式のファイルとして保存する。ファイル名には、参加者ID・測定日時・実験条件などの識別情報を体系的に含める命名規則を事前に定めておくことが、後の解析作業を効率化する。測定直後には、データファイルが破損していないことを確認するため、簡易的な可視化や基本統計量のチェックを行う。データ保存の原則は、3-2-1ルールとして知られる。少なくとも3つのコピーを、2種類以上の異なるメディア(例:PC内蔵ハードディスク・外付けハードディスク・クラウドストレージ)に、1つは物理的に異なる場所に保管する。
デジタルデータと並行して、計測記録シートの作成と保管も極めて重要である。計測記録シートは、測定中に生じた出来事や観察事項を時系列で記録する紙媒体体の記録である。記録すべき内容としては、測定日時・参加者ID・実験者名といった基本情報に加え、プローブ装着時の問題(特定チャンネルの信号不良など)、測定中の出来事(参加者の体動・咳・くしゃみ・集中力低下の様子・課題遂行の困難さの訴え・装置の一時停止など)、環境の変化(室温の変動・外部騒音の発生など)を詳細に記述する。これらの情報は、後のデータ解析において異常値やアーティファクトの原因を特定する際の貴重な手がかりとなる。たとえば、ある試行で急激な信号変化が見られた場合、記録シートに「該当時刻に参加者が咳をした」という記述があれば、その試行をアーティファクトとして除外する判断根拠となる。計測記録シートは、データの品質管理と研究の透明性を担保する文書であり、研究ノートの一部として保存義務がある。計測記録シートがない状態でのデータの恣意的な扱いは、重大な研究倫理違反となってしまうことを留意すべきである。
研究データには個人情報が含まれうるため、保存時には匿名化処理を施し、アクセス権限を制限したフォルダに格納する。研究倫理指針では、データの保存期間(一般に研究終了後5〜10年)と保存責任者が定められている。バックアップは定期的(例:測定日ごと)に実施し、バックアップ実施記録を残す。クラウドストレージを利用する場合は、データの暗号化と、サービス提供者のセキュリティポリシーを確認する。データ管理計画(Data Management Plan: DMP)を研究開始前に作成し、データのライフサイクル全体(取得・保存・共有・廃棄)を見通した管理体制を構築することが、近年の研究公正の観点から推奨されている。

④ fNIRSで測定された脳活動を解釈し、先行研究と比較するためには、各測定チャンネルがどの脳部位に対応するかを同定する空間レジストレーション(spatial registration)が必要である。最も基本的な方法は、国際10-20法に基づく頭皮上の座標系を用いるものである。10-20法は、もともとEEG測定のために開発された頭皮電極配置の標準化システムであり、鼻根・外耳孔・後頭結節といった解剖学的ランドマークを基準に、頭皮を10%または20%の間隔で分割して電極位置を定める。fNIRS測定においても、プローブ位置を10-20法の座標点(例:Fp1, Fp2, F3, F4など)に対応させることで、測定部位の再現性を高めることができる。より精密な方法としては、確率的レジストレーションがある。これは、多数の個人のMRI画像から構築された標準脳(例:MNI152テンプレート)に対し、測定チャンネルの頭皮座標を変換し、各チャンネルが対応する皮質領域を確率的に推定する手法である。代表的なツールとして、NIRS-SPMなどのソフトウェアパッケージが無償で公開されている。個人のMRIデータが利用可能な場合は、個別レジストレーションを行うことで、最も正確な解剖学的対応を得ることができる。ただし、個別MRI撮像にはコストと時間がかかるため、多くの研究では確率的レジストレーションが実用的な選択肢となる。空間レジストレーションの精度は、頭蓋骨の厚さや形状の個人差、プローブ装着位置のずれによって制約される。したがって、fNIRSの空間分解能は約2〜3cm程度であることを念頭に置き、あまりに狭い脳領域への活動の帰属は避けるべきである。測定チャンネルが複数の脳領域にまたがる可能性も考慮し、結果の解釈には慎重さが求められる。
キーワード ① プローブ配置 ② 国際10-20法 ③ トリガー信号 ④ 計測記録シート ⑤ 空間レジストレーション(spatial registration)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第5回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第3回で学習したfNIRSの測定原理(近赤外光の透過、oxy-Hb/deoxy-Hbの測定)を復習し、プローブと頭皮の密着がなぜ重要なのかを理解しておく。
【復習】
第5回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。プローブ装着の手順、装置操作の流れ、データ保存の方法を、自分の言葉でまとめ、整理する。計測記録シートのサンプルを作成し、どのような情報を記録すべきかを項目化しておく(測定日時、参加者ID、測定中の出来事、環境条件、特記事項など)。

6 fNIRSデータ解析(1)-データの前処理 科目の中での位置付け 本回は第5回で取得したfNIRSデータを科学的に解釈可能な形に整える前処理の方法を学ぶ回である。生データには測定装置由来のノイズ、生理的変動、体動によるアーティファクトなど、脳活動以外の様々な要因が混入している。これらを適切に除去し、信号品質を評価したうえで解析対象とするデータを確定する一連のプロセスが前処理である。前処理の巧拙が最終的な研究結果の信頼性を左右するため、各処理の原理と判断基準を理解することが不可欠である。第7回の統計解析に進む前提として、データを解析可能な状態に整える技術的基盤を習得する。
コマ主題細目 ① データの可視化と品質チェック ② ベースライン補正とフィルタリング ③ モーションアーチファクトの除去 ④ チャンネル選択と関心領域(ROI)の設定
細目レベル ① データ解析の第一歩は、取得したデータを可視化し、その品質を評価することである。データの可視化により、測定が正常に行われたか、異常値やアーティファクトが含まれていないかを視覚的に判断できる。fNIRSデータは通常、時系列データとして可視化される。横軸に時間、縦軸にヘモグロビン濃度変化をとり、各チャンネルのoxyHbとdeoxyHbの変化を同時にプロットする。典型的な脳活動パターンでは、課題遂行時にoxyHbが増加し、deoxyHbが減少する。この逆のパターンや、両者が同方向に大きく変動する場合は、全身的な血圧変動や頭皮血流の影響が疑われる。品質チェックでは、いくつかの指標を確認する。第一に、信号対雑音比(SNR)である。ベースライン期間の信号変動が大きすぎる場合、プローブ装着の不良や過度の体動が示唆される。第二に、チャンネルごとの信号飽和である。信号が装置の測定範囲を超えて飽和している場合、そのチャンネルのデータは使用できない。第三に、課題に関連した系統的な信号変化の有無である。課題ブロックと信号変化のタイミングが対応していない場合、マーカー信号の記録ミスや参加者の課題遂行不全が疑われる。計測記録シートを照合しながら、測定中の出来事(体動・咳など)とデータの異常が対応しているかを確認する。品質チェックの結果、使用不可能と判断されたチャンネルや試行は、解析から除外する明示的な基準を事前に設定しておくことが、恣意的なデータ除外を避けるために重要である。
② fNIRSデータには、課題に関連した信号以外に、様々な生理的・技術的ノイズが混入している。ベースライン補正(baseline correction)は、測定開始時点や各試行開始時点の信号レベルを基準(ゼロ)とし、そこからの変化量を算出する処理である。これにより、個人間や測定セッション間の絶対的な信号レベルの違いを標準化し、課題に関連した相対的な変化に焦点を当てることができる。ブロックデザインでは、各課題ブロック直前の安静期間の平均値をベースラインとすることが多い。イベント関連デザインでは、各試行の刺激提示前の一定期間(例:刺激前5秒間)の平均値をベースラインとする。フィルタリングは、特定の周波数成分を除去または抽出する信号処理技法である。fNIRSデータには、心拍(約1Hz)、呼吸(約0.2〜0.3Hz)、血圧のメイヤー波(約0.1Hz)といった生理的リズムが重畳している。認知課題に関連した脳活動は、より低周波(約0.01〜0.1Hz)の成分として現れるため、ローパスフィルタ(例:カットオフ周波数0.1Hz)を適用して高周波ノイズを除去することが一般的である。また、測定装置のドリフトや全身的な血流変動といった超低周波成分を除去するため、ハイパスフィルタ(例:カットオフ周波数0.01Hz)を併用することもある。フィルタの種類(バターワース・チェビシェフなど)や次数の選択は、信号の歪みとノイズ除去効果のトレードオフを考慮して決定する。過度なフィルタリングは課題関連信号そのものを減衰させる危険があるため、先行研究で標準的に用いられているパラメータを参照することが推奨される。
③ モーションアーティファクト(motion artifact)は、測定中の参加者の頭部運動や体動によって生じる急激な信号変化であり、fNIRS測定において最も深刻なノイズ源の一つである。プローブと頭皮の接触状態が変化すると、光路長が変化し、ヘモグロビン濃度の測定値に急峻なスパイク状の変化が生じる。モーションアーティファクトは、その振幅の大きさと急峻さから、生理的な脳活動とは明確に区別できることが多い。除去方法にはいくつかのアプローチがある。第一は、スパイク除去(spike removal)である。信号の時間微分(変化率)を計算し、閾値を超える急激な変化を検出し、その前後の一定期間を補間または除外する。第二は、ウェーブレット変換に基づく方法である。ウェーブレット変換により信号を時間-周波数領域に分解し、アーティファクトに対応する成分を選択的に除去する。第三は、主成分分析(PCA)や独立成分分析(ICA)を用いた方法である。複数チャンネルのデータから共通するアーティファクト成分を抽出し、それを除去する。第四は、Correlation-based Signal Improvement(CBSI)などの専用アルゴリズムである。oxy-HbとDeoxy-Hbの相関パターンに基づいてアーティファクトを同定し補正する。どの方法を選択するかは、アーティファクトの性質とデータの特性に依存する。また、過度な補正は本来の信号を歪める危険があるため、補正前後のデータを比較し、妥当性を検証することが重要である。計測記録シートに記載された体動の情報を参照し、アーティファクト除去の妥当性を確認する作業も不可欠である。
④ fNIRSは複数チャンネルで同時に測定を行うが、すべてのチャンネルが研究仮説に関連するわけではない。チャンネル選択では、研究目的に応じて解析対象とするチャンネルを絞り込む。選択基準としては、第一に解剖学的基準がある。空間レジストレーションの結果に基づき、研究仮説で想定される脳領域(例:前頭前野・運動野)に対応するチャンネルを選択する。第二に機能的基準がある。予備的なデータ可視化において、課題に関連した明確な信号変化を示したチャンネルを選択する。ただし、この方法は循環論法(データを見てから仮説を立てる)に陥る危険があるため、独立したデータセットでの検証や、事前登録された解析計画に基づく選択が望ましい。関心領域(Region of Interest: ROI)は、複数の隣接チャンネルを統合した領域単位で解析を行う手法である。個々のチャンネルはノイズの影響を受けやすいが、空間的に近接したチャンネルの平均をとることで、信号対雑音比を向上させることができる。ROIの設定は、解剖学的知識(例:右前頭前野に対応する3つのチャンネルを統合)または機能的知識(例:ワーキングメモリ課題で活動する領域)に基づいて行う。ROIの設定は解析前に明示的に定義し、恣意的な変更を避けることが研究の透明性を担保する。前処理とチャンネル選択・ROI設定が完了した時点で、データは統計解析の準備が整ったことになる。
キーワード ① データの前処理 ② 信号対雑音比(signal-to-noise ratio, SNR) ③ ベースライン補正 ④ モーションアーティファクト ⑤ 関心領域(region of interest, ROI)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第6回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。心理統計学の授業で学習したt検定・分散分析の基本概念(帰無仮説・対立仮説・有意水準・検定統計量・p値)を復習しておく。
【復習】
第6回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。データの前処理の各ステップ(可視化・品質チェック・ベースライン補正・フィルタリング・アーティファクト除去・チャンネル選択)を順序立てて整理し、各ステップの目的と方法をフローチャート形式でまとめる。

7 fNIRSデータ解析(2)-統計解析 科目の中での位置付け 第6回の前処理に続き、fNIRSデータの統計解析手法を詳細に学ぶ回である。区間平均法とGLM(一般線形モデル)という2つの主要な解析アプローチを理解し、それぞれの原理・適用場面・利点と限界を比較する。また、統計的推論の実践として、t検定・分散分析の適用方法を具体的に学ぶ。多チャンネル計測に伴う多重比較の問題とその補正方法を理解することで、統計的に妥当な結論を導く能力を養う。これらにより、fNIRSデータから科学的に信頼できる知見を導出するための統計的基盤が完成する。
コマ主題細目 ① 区間平均法 ② GLM解析法 ③ 統計解析の基礎(t検定、ANOVA) ④ 多チャンネル計測に伴う多重性の問題
細目レベル ① 間平均法(averaging method)は、fNIRS研究において最も広く用いられる基本的な解析手法である。この方法では、課題条件と統制条件のそれぞれにおいて、特定の時間窓(例:刺激提示後4〜15秒)のヘモグロビン濃度変化の平均値を算出し、条件間で比較する。ブロックデザインの場合、各課題ブロック期間の平均値と安静ブロック期間の平均値を比較する。イベント関連デザインの場合、刺激提示後の血行力学的応答がピークに達する時間窓(典型的には4〜10秒後)の平均値を各試行について算出し、試行を条件ごとにグループ化して平均する。区間平均法の利点は、解析が直感的で理解しやすく、実装が容易であることである。また、特定の時間窓を明示的に選択するため、研究者の理論的予測を反映した解析が可能となる。一方、限界としては、時間窓の選択が恣意的になりうること、血行力学的応答の時間的ダイナミクスを十分に捉えられないこと、条件間で応答の時間経過が異なる場合に検出力が低下することが挙げられる。時間窓の選択は、先行研究や予備データに基づいて事前に決定し、データを見てから事後的に調整することは避けるべきである。複数の時間窓を探索的に検討する場合は、多重比較の補正が必要となる。区間平均法は、ブロックデザインや比較的単純な実験パラダイムにおいて、最初の解析手法として適している。
② 一般線形モデル(General Linear Model: GLM)は、fMRI研究で標準的に用いられる解析手法であり、fNIRS研究にも応用されている。GLMは、観測されたヘモグロビン濃度の時系列データを、複数の説明変数(予測因子)の線形結合としてモデル化する。基本的な式は、Y = Xβ + ε と表される。ここでYは観測データ、Xはデザイン行列(実験条件や時間的トレンドを表現する行列)、βは推定すべき回帰係数、εは誤差項である。デザイン行列の各列は、課題条件の時間経過を血行力学的応答関数(HRF)で畳み込んだ予測時系列として構築される。GLM解析により、各条件が脳活動に寄与する程度(回帰係数β)を推定し、統計的に検定することができる。GLMの利点は、複数の条件や交絡因子(線形トレンド・ドリフトなど)を同時にモデル化できること、イベント関連デザインにおいて試行間隔が不規則な場合でも適切に解析できること、柔軟な統計的推論(コントラスト検定)が可能であることである。一方、GLMは数学的・計算的にやや複雑であり、適切なデザイン行列の構築にはfMRI解析の知識が求められる。また、HRFの形状を仮定する必要があり、個人差や脳領域差によってHRFが異なる場合、モデルの適合が不十分になる可能性がある。GLM解析には、SPMやNIRS-SPMなどの専用ソフトウェアが利用可能である。なお、回帰させるモデル関数の時間パラメータについては、fMRIデータの解析に使用されるものを慣習的にそのまま用いてきたが、近年では、fNIRSデータ解析用に最適化する必要性も提唱されている。区間平均法とGLM法は相補的な関係にあり(より厳密にいえば、区間平均法はGLM法に包含される)、研究目的とデータの性質に応じて使い分けることが重要である。
③ これまで心理統計法で学んできた統計的検定の方法を、fNIRS解析の文脈でより詳細に実践する。t検定の実施においては、まず前提条件の確認が必要である。データの正規性は、Q-Qプロットや正規性検定(シャピロ-ウィルク検定・コルモゴロフ-スミルノフ検定)で評価する。等分散性は、ルビーン検定やF検定で確認する。前提が満たされない場合、ノンパラメトリック検定(ウィルコクソン符号順位検定・マン-ホイットニーU検定)やウェルチのt検定(等分散を仮定しない)を用いる。対応のあるt検定は、参加者内計画において、同一参加者の2条件(例:課題vs統制)のヘモグロビン濃度変化を比較する。対応のないt検定は、参加者間計画において、2つの群(例:若年群vs高齢群)を比較する。分散分析(ANOVA)では、より複雑な実験計画を扱う。1要因分散分析は、3つ以上の条件(例:課題難易度:低・中・高)の主効果を検定する。2要因分散分析は、2つの独立変数(例:課題タイプ×年齢群)の主効果と交互作用を検定する。反復測定分散分析は、参加者内要因を含む計画(例:各参加者が複数条件を経験する)に用いられ、個人差の影響を統制できる。ANOVAで有意な効果が検出された場合、事後検定(post-hoc test)により、どの条件間に有意差があるかを特定する。ボンフェローニ補正・チューキー法・シェッフェ法などがあり、検定の保守性と検出力のバランスを考慮して選択する。統計結果の報告では、検定統計量(t値・F値)、自由度、p値、効果量を明記することが標準的である。
④ fNIRS測定では複数のチャンネルから同時にデータが得られるため、各チャンネルに対して独立に統計検定を行うと、多重比較(multiple comparisons)の問題が生じる。有意水準α=0.05で検定を行う場合、帰無仮説が真であっても5%の確率で誤って有意と判定される(第一種の過誤)。たとえば、10チャンネルで独立に検定すれば、少なくとも1つのチャンネルで誤って有意となる確率は約40%に上昇する。この問題を放置すると、偶然の結果を真の発見と誤認する偽陽性(false positive)が増t加し、研究の再現性が損なわれる。多重性の補正には、複数の方法がある。Bonferroni補正は最も保守的な方法であり、有意水準をチャンネル数で割る(例:10チャンネルならα=0.05/10=0.005)。実装は容易だが、過度に保守的で統計的検出力が低下する欠点がある。False Discovery Rate(FDR)補正は、偽発見率(有意と判定されたもののうち真に有意でないものの割合)を一定以下に制御する方法であり、Bonferroni補正よりも検出力が高い。クラスター補正は、隣接する複数のチャンネルが同時に有意な活動を示す場合のみ真の活動と認める方法で、fMRI解析で広く用いられる。また、事前にROIを設定し(第6回参照)、ROI内のチャンネルの平均値に対してのみ検定を行うことで、検定回数を削減する戦略もある。多重性の問題は、探索的研究(どの領域が活動するか分からない)と仮説検証的研究(特定領域の活動を予測)で対処法が異なる。探索的研究では厳格な補正が必要だが、仮説検証的研究で事前に指定したROIのみを検定する場合、補正の必要性は低い。また、探索的研究においても、多重比較の本質を考慮し、単にチャネル数で補正をかけるのではなく、実効多重性(effective multiplicity)を考慮する方法も近年では提案されている。いずれにせよ、多重性への対処方法は論文に明記し、研究の透明性を確保すべきである。
キーワード ① 区間平均法(block-averaging method) ② GLM解析法(General Linear Model Analysis) ③ 事後検定(post-hoc test) ④ 多重比較補正(multiple comparisons correction) ⑤ 偽発見率(False Discovery Rate: FDR)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第7回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第6回で学習したt検定とANOVAの内容を復習し、検定統計量・自由度・p値の計算方法を確認しておく。
【復習】
第7回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。区間平均法とGLM解析法の違いを、それぞれの原理・利点・限界とともに整理し、どのような研究デザインにどちらが適しているかを自分の言葉でまとめる。

8 自律神経系の生理学的基礎 科目の中での位置付け 第7回までに学習したfNIRSによる中枢性の脳活動測定から、末梢性の自律神経反応測定へと視点を移す回であり、科目の中盤における重要な転換点である。自律神経系は情動・ストレス・覚醒といった心理状態と密接に関連しており、脳活動とは異なる側面から「こころ」にアプローチする測定手段を提供する。自律神経系の構造と機能、測定の歴史的展開、ストレス応答のメカニズム、恒常性維持の原理を理解することで、第9回以降の具体的な測定技術(心拍変動、皮膚コンダクタンスなど)と、第11回以降の高次認知機能研究における自律神経指標の解釈のための生理学的基盤を形成する。
コマ主題細目 ① 交感神経系と副交感神経系の構造と機能 ② 自律神経反応の測定史 ③ ストレス反応と情動の生理学 ④ 恒常性維持と適応的反応
細目レベル ① 自律神経系(autonomic nervous system)は、意識的な制御を受けずに内臓器官の機能を調節する神経系であり、交感神経系(sympathetic nervous system)と副交感神経系(parasympathetic nervous system)から構成される。両者は多くの臓器に対して拮抗的に作用し、生体の内部環境を状況に応じて動的に調整する。交感神経系は、脊髄の胸腰部(T1〜L2)から起始し、脊柱の両側に連なる交感神経幹を経て、心臓・血管・気管支・消化管・汗腺・瞳孔などの標的器官に分布する。主要な神経伝達物質はノルアドレナリンであり、副腎髄質からのアドレナリン分泌も交感神経系の一部として機能する。交感神経系の活性化は「闘争か逃走か(fight-or-flight)」反応として知られ、心拍数増加・血圧上昇・気管支拡張・消化機能抑制・発汗促進・瞳孔散大といった身体変化を引き起こし、生体を危機的状況への対処に適した状態にする。副交感神経系は、脳幹(迷走神経など)と仙髄(S2〜S4)から起始し、主要な神経伝達物質はアセチルコリンである。副交感神経系の活性化は「休息と消化(rest-and-digest)」状態をもたらし、心拍数減少・血圧低下・消化機能促進・気管支収縮・瞳孔縮小などを引き起こす。特に迷走神経は副交感神経系の中心的役割を担い、心臓・肺・消化管に広く分布する。交感神経系と副交感神経系のバランス(自律神経バランス)は、生体の覚醒水準・情動状態・健康状態を反映する重要な指標であり、心理生理学的測定の理論的基盤となる。
② 自律神経反応を客観的に測定しようとする試みは、生理心理学の黎明期から続いてきた。19世紀末から20世紀初頭にかけて、呼吸・脈拍・血圧などの生理指標が情動状態と関連することが経験的に知られていたが、これらを精密に記録する技術の発展により、科学的研究が可能になった。ウィリアム・ジェームズとカール・ランゲは、情動は身体的変化の知覚によって生じるという理論(ジェームズ-ランゲ説)を提唱し、自律神経反応と情動の関係への学術的関心を高めた。20世紀初頭には、ウォルター・キャノンが交感神経系の「闘争か逃走」反応を体系的に記述し、情動の生理学的基盤を明らかにした。1920年代にはポリグラフ(嘘発見器)が開発され、複数の自律神経指標(心拍・血圧・皮膚電気活動・呼吸)を同時記録する技術が確立した。これは法的場面での利用を意図したものだったが、その科学的妥当性については今日も議論が続いている。1950年代以降、皮膚コンダクタンス反応(SCR)が情動的覚醒や注意の指標として精緻化され、認知心理学・臨床心理学の研究に広く用いられるようになった。1960年代には心拍変動(heart rate variability: HRV)が自律神経バランスの指標として注目され、1980年代以降はコンピュータ技術の発展により、時系列データの詳細な周波数解析が可能になった。現代では、ウェアラブルセンサーの小型化により、日常生活場面での長期連続測定が実現し、ストレス管理や健康モニタリングへの応用が進んでいる。自律神経反応測定の歴史は、心身の関係を客観的に捉えようとする心理学の本質的な営みの歴史でもあるといえる。
③ ストレスとは、生体が外的または内的な要求(ストレッサー)に適応しようとする過程であり、自律神経系・内分泌系・免疫系が協調して働く全身的反応である。ハンス・セリエは、ストレス反応の時間的経過を汎適応症候群(General Adaptation Syndrome: GAS)として定式化した。これは、警告反応期(ストレッサーへの急性反応)、抵抗期(ストレッサーへの持続的適応)、疲憊期(適応能力の枯渇)の三段階から成る。警告反応期では交感神経系が急速に活性化し、心拍数・血圧が上昇し、副腎髄質からアドレナリンが分泌される。これにより、筋肉への血流増加、グルコース動員、注意の集中など、即座の対処行動を支える身体変化が生じる。持続的ストレスに対しては、視床下部-下垂体-副腎皮質系(HPA軸)が活性化し、コルチゾールが分泌される。コルチゾールは長期的なエネルギー動員と抗炎症作用をもたらすが、慢性的な高コルチゾール状態は海馬の萎縮・免疫抑制・代謝異常を引き起こし、健康を損なう。情動(emotion)は、ストレスと密接に関連する心理生理学的状態であり、主観的体験・認知的評価・身体的反応・行動表出の複合体として理解される。自律神経特異性仮説は、異なる情動(怒り・恐怖・悲しみ・喜びなど)が異なる自律神経反応パターンを持つという考えであるが、実証的証拠は一貫していない。現代の情動理論では、自律神経反応は情動の覚醒次元(arousal)を反映し、情動の質的側面(valence: 快-不快)は主観的評価や脳活動により強く依存すると考えられている。情動調節能力と自律神経系の柔軟性(状況に応じた迅速な活性化と回復)は、精神的健康の重要な指標である。
④ 生体は、体温・血糖値・血圧・pH・水分バランスといった内部環境を一定範囲内に保つ恒常性(homeostasis)の維持機構を持つ。自律神経系は、この恒常性維持において中心的な役割を果たす。たとえば、体温が上昇すれば、交感神経系が皮膚血管を拡張させ、発汗を促進することで熱放散を促す。血圧が低下すれば、圧受容体反射により交感神経系が活性化し、心拍数増加と血管収縮によって血圧を回復させる。こうしたネガティブフィードバック機構により、生体は外的環境の変動や内的代謝の変化に対して安定性を維持する。しかし近年、単なる恒常性維持を超えたアロスタシス(allostasis)の概念が提唱されている。アロスタシスとは、「変化を通じた安定性」を意味し、生体が予測的に内部環境を調整し、予想される要求に事前に適応する能力を指す。例えば、朝の起床時には副腎皮質からのコルチゾール分泌が予期的に増加し(覚醒時コルチゾール反応)、一日の活動に備える。しかし、慢性的ストレスや不規則な生活により、このアロスタシス機構が過剰に作動し続けると、アロスタティック負荷(allostatic load)が蓄積し、心血管疾患・代謝疾患・精神疾患のリスクが高まる。自律神経系の測定は、恒常性維持機構の働きとその破綻を評価する窓であり、健康科学・予防医学においても重要な意義を持つ。心理学研究においては、認知的・情動的ストレスが自律神経系を介して長期的な健康にどのように影響するかという心身相関のメカニズムを解明する手がかりとなる。自律神経系は、脳-身体-環境の相互作用を媒介するシステムとして、統合的な人間理解のために不可欠な研究対象である。
キーワード ① 感神経系・副交感神経系 ② 闘争か逃走反応(fight-or-flight response) ③ 汎適応症候群(GAS) ④ 視床下部-下垂体-副腎皮質系(HPA axis) ⑤ 恒常性・アロスタシス(homeostasis/allostasis)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第8回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。高校の生物履修経験のある者は、当時学習した自律神経系の基礎知識(交感神経・副交感神経の働き)を復習しておくと良い。第1回で学習した生理心理学の歴史的展開を復習し、自律神経反応測定がその中でどのように位置づけられるかを意識しておく。
【復習】
第8回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。ストレス反応のメカニズムについて、急性ストレス(交感神経系・副腎髄質)と慢性ストレス(HPA軸)の違いを明確にし、それぞれの生理的変化と健康への影響をまとめる。恒常性とアロスタシスの概念の違いを具体例を用いて説明できるようにしておく。自分の日常生活における自律神経系の働き(緊張時の心拍増加、リラックス時の呼吸変化など)を意識的に観察し、体験的理解を深める。

9 自律神経反応の測定とデータ解析 科目の中での位置付け 第8回で学習した自律神経系の生理学的基盤を踏まえ、実際の測定技術とデータ解析の方法を実践的に習得する。脳活動測定(fNIRS)が中枢性の指標であるのに対し、自律神経反応は末梢性の指標として情動・ストレス・覚醒といった心理状態を異なる角度から捉える。総合心理学部で使用するPolymate Pro装置による多チャンネル同時記録の方法を学び、皮膚電気活動・呼吸・心電図という代表的な自律神経指標の測定原理と解析技術を理解する。第10回以降の実験デザインや高次認知機能研究への応用において、自律神経指標を適切に選択・測定・解釈するための技術的基盤を形成する。
コマ主題細目 ① Polymate Proを用いた多チャンネル記録 ② 皮膚電気活動の原理と測定・典型的解析 ③ 呼吸トレースの原理と測定・典型的解析 ④ 心電図の原理と測定・IHR解析とHRV解析
細目レベル ① Polymate Pro(デジテックス研究所製)は、複数の生理指標を同時記録できる多チャンネル生体信号記録装置である。総合心理学部の装置構成では、皮膚電気活動・呼吸・心電図・血流量・皮膚温・筋電図などの測定が可能であり、各信号は個別のアンプで増幅され、デジタル変換されてPCに記録される。測定準備として、参加者には測定の目的と手順を説明し、リラックスした状態で測定に臨めるよう配慮する。測定環境は温度(22〜25℃)・湿度(40〜60%)・照明を一定に保ち、外部ノイズ(電磁波・騒音)を最小化する。各生理指標に対応するセンサーを適切な身体部位に装着する。皮膚電気活動用電極は手掌または指先に、呼吸センサーは胸部または腹部に、心電図電極は胸部または手首に装着する。装着後、ベースライン期間(5〜10分)を設けて生理状態の安定化を図る。データ記録では、サンプリングレート(一般に1000 Hz程度)を設定し、課題の開始・終了などのイベントマーカーを記録する。fNIRS測定と同様、トリガー信号は後の解析で刺激提示と生理反応の時系列を対応させるために不可欠である。Polymate Proの制御ソフトウェアは、リアルタイムで波形を表示する機能を持ち、測定中に信号品質を確認できる。アーティファクト(体動・電極の剥離・電気的ノイズ)が検出された場合は、その旨を記録シートに記載する。測定終了後、データファイルが正常に保存されたことを確認し、バックアップを作成する。多チャンネル同時記録の利点は、複数の生理系の協調的変化を捉えることで、心理状態のより包括的な理解が可能になることである。
② 皮膚電気活動(Electrodermal Activity: EDA)は、皮膚の電気的特性の変化を測定する指標であり、古くは皮膚電気反射(Galvanic Skin Response: GSR)とも呼ばれた。EDEは汗腺の活動を反映しており、汗腺は交感神経系のみによって支配されているため、EDEは交感神経活動の純粋な指標として重要である。測定には二つの方法がある。皮膚コンダクタンス(skin conductance)は微弱な電流を皮膚に流し、その電気伝導度を測定する方法(外発法)で、現代では標準的である。皮膚電位(skin potential)は電流を流さずに皮膚表面の電位差を測定する方法(内発法)である。測定部位は、手掌または指先(通常は示指と中指の第一関節部)が用いられる。これらの部位はエクリン汗腺が密集し、情動的覚醒に対して感受性が高い。電極は銀/塩化銀電極を用い、電極ペーストまたは粘着性電極を使用する。EDEの成分として、皮膚コンダクタンス水準(Skin Conductance Level: SCL)は緩やかに変動する基準線レベルであり、全般的な覚醒水準を反映する。皮膚コンダクタンス反応(Skin Conductance Response: SCR)は、刺激提示や情動的出来事に対する一過性の急峻な変化であり、潜時1〜3秒、立ち上がり時間1〜3秒、振幅0.05〜数μS程度の波形を示す。典型的解析では、刺激提示後の一定時間窓(例:0.5〜4秒)内に生じたSCRの振幅・潜時・立ち上がり時間を測定する。SCRの振幅は情動的覚醒や注意の強度を反映し、恐怖条件づけ・嘘発見・情動刺激処理などの研究で広く用いられる。自発的SCR(特定の刺激に依らない自発的な変動)の頻度も、不安や覚醒の指標となる。データ解析では、ベースライン補正・アーティファクト除去・個人差の大きさに対処するための対数変換などの前処理を行う。
③ 呼吸は、自律神経系と体性神経系の両方によって制御される特異な生理機能である。無意識的な自動制御(延髄の呼吸中枢による)と意識的な随意制御(大脳皮質による)が可能であり、自律神経状態と認知的制御の相互作用を反映する。呼吸は情動・ストレス・注意・リラクセーションと密接に関連し、不安時には呼吸が浅く速くなり、リラックス時には深くゆっくりになる。測定方法として、呼吸ベルト(strain gauge)を胸部または腹部に装着し、呼吸による胸郭・腹部の拡張と収縮を電気抵抗の変化として検出する方法が一般的である。胸式呼吸と腹式呼吸の違いを捉えるため、胸部と腹部の両方にベルトを装着する二チャンネル記録も行われる。より精密な測定としては、スパイロメータやカプノメータ(呼気中のCO₂濃度測定)があるが、マスクやマウスピースの装着が必要で、測定の侵襲性が高まる。呼吸トレースの成分として、呼吸数(respiratory rate)は1分間あたりの呼吸回数であり、成人の安静時では12〜20回程度である。呼吸振幅(respiratory amplitude)は一回換気量を反映し、深い呼吸では振幅が大きくなる。呼吸パターンとして、規則的・不規則、胸式・腹式、周期的変動(ため息など)が観察される。典型的解析では、呼吸トレースから呼吸数・呼吸振幅・吸気時間と呼気時間の比(I/E比)を算出する。ストレス・不安時には呼吸数が増加し、振幅が減少する傾向がある。呼吸は心拍変動に影響を与える(呼吸性不整脈)ため、心拍変動解析においても呼吸の同時記録が重要である。また、呼吸法を用いたリラクセーション訓練の効果評価や、パニック障害における過換気の客観的評価などにも用いられる。
④ 心電図(Electrocardiogram: ECG またはEKG)は、心臓の電気的活動を体表面から記録する方法である。心臓の収縮は、洞房結節から発生する電気信号が心房・心室へと伝播することで生じ、この電気活動が体表面に電位差として現れる。標準的な12誘導心電図は臨床診断用だが、心理生理学研究では簡便な誘導II(右腕-左脚間)またはCM5誘導(胸骨-左前胸部間)が用いられる。電極は銀/塩化銀電極を用い、皮膚の清拭とアルコール消毒により接触抵抗を低減する。ECG波形の成分として、P波(心房の脱分極)、QRS波(心室の脱分極)、T波(心室の再分極)が識別される。心理生理学的研究では、最も振幅の大きいR波の時間的位置(R-Rピーク)を検出し、連続するR波間の時間間隔(R-R間隔、単位:ミリ秒)を算出することが基本となる。瞬時心拍数(Instantaneous Heart Rate: IHR)は、各R-R間隔から算出される心拍数(単位:拍/分)であり、IHR = 60,000 / R-R間隔(ms)で求められる。IHRは時系列として変動し、刺激提示後の一過性の心拍加速または減速として情動反応や注意過程を反映する。典型的には、新奇刺激や注意を要する刺激に対して一過性の心拍減速が生じ(定位反応)、情動的・防御的刺激に対しては心拍加速が生じる。心拍変動(Heart Rate Variability: HRV)は、R-R間隔の変動性を定量化する指標群であり、自律神経バランスの評価に広く用いられる。時間領域指標として、R-R間隔の標準偏差(SDNN)、連続するR-R間隔差の二乗平均平方根(RMSSD)などがある。周波数領域指標として、R-R間隔の時系列にFFT(高速フーリエ変換)を適用し、パワースペクトルを算出する。高周波成分(High Frequency: HF, 0.15〜0.4 Hz)は主に副交感神経(迷走神経)活動を反映し、呼吸性不整脈に対応する。低周波成分(Low Frequency: LF, 0.04〜0.15 Hz)は交感神経と副交感神経の両方を反映し、血圧調節系と関連する。LF/HF比は自律神経バランスの指標として用いられるが、その解釈には議論もある。HRV解析では、測定時間(短時間記録:5分程度、長時間記録:24時間)、呼吸統制の有無、アーティファクト除去の方法が結果に影響するため、標準化されたプロトコルに従うことが重要である。
キーワード ① 多チャンネル記録装置 ② 皮膚コンダクタンス反応(SCR) ③ 呼吸線長(RLL) ④ R-R間隔(R-R interval) ⑤ 心拍変動(Heart Rate Variability: HRV)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第9回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第8回で学習した交感神経系と副交感神経系の機能を復習し、各自律神経指標がどちらの神経系を反映するかを意識しておく。心電図の基本的な波形(P波・QRS波・T波)について、高校の生物や医学系の入門書で確認しておくとよい。
【復習】
第9回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。皮膚電気活動・呼吸・心電図の各指標について、測定原理・測定部位・解析指標・心理学的意味を表形式で整理する。特にSCRの振幅、呼吸数、IHR、HRVの各成分(HF・LF・LF/HF比)が、どのような心理状態(情動的覚醒・ストレス・リラクセーション・自律神経バランスなど)を反映するかを自分の言葉でまとめる。

10 実行機能と言語の認知脳科学 科目の中での位置付け 第9回までに習得した測定技術(fNIRSおよび自律神経反応)を、具体的な高次認知機能の研究にどのように応用するかを学ぶ応用編の最初の回となる。実行機能と言語は、人間の認知の中核をなす高次機能であり、いずれも前頭葉を中心とした複雑な神経ネットワークによって支えられている。これらの認知機能の神経科学的知見を概観したうえで、fNIRS測定がどのように適用され、どのような研究成果が得られているかを学ぶ。第11回の情動研究、第12回以降の実践的応用へと続く高次認知機能研究の基礎を形成する重要な回である。
コマ主題細目 ① 実行機能とは何か―作動記憶、抑制、切り替え ② 前頭前野の役割とネットワーク ③ 言語処理の神経基盤―Broca野とWernicke野 ④ 言語処理における複数の処理レベル ⑤ 【発展】fNIRSを用いた前頭前野・言語野活動の研究例
細目レベル ① 実行機能(executive function)は、目標指向的行動を計画・実行・調整するための認知制御プロセスの総称であり、日常生活における複雑な問題解決や適応的行動に不可欠である。実行機能は単一の能力ではなく、複数の下位成分から構成される。認知心理学者のミヤケ(Miyake)らは、因子分析研究に基づき、実行機能の三つの中核的成分を提唱した。ワーキングメモリ(working memory)は、情報を一時的に保持しながら操作する能力である。たとえば、暗算において数値を記憶しながら計算操作を行う、会話において相手の発言を保持しながら応答を考えるといった場面で働く。ワーキングメモリは、バドリー(Baddeley)のモデルでは、音韻ループ(言語情報の保持)、視空間スケッチパッド(視覚・空間情報の保持)、中央実行系(注意の制御)、エピソードバッファ(異なる情報の統合)から構成される。抑制(inhibition)は、優勢な反応や無関連情報を抑制し、目標に関連する処理を選択的に実行する能力である。たとえば、ストループ課題では、色名単語の意味(優勢反応)を抑制して、インクの色(目標反応)を報告する必要がある。切り替え(shifting または task switching)は、異なる課題や認知セット間を柔軟に切り替える能力である。たとえば、数字の大小判断と奇偶判断を交互に行う場合、前の課題セットを解除し、新しいセットを活性化する必要がある。これら三成分は相互に関連しながらも、ある程度独立した神経基盤を持つことが示されている。実行機能の障害は、前頭葉損傷患者、注意欠如多動症(ADHD)、統合失調症などで顕著であり、日常生活の自立性や学業・職業遂行に深刻な影響を及ぼす。
② 実行機能の神経基盤は、前頭前野(prefrontal cortex: PFC)を中核とするネットワークである。前頭前野は、前頭葉のうち一次運動野と運動前野を除いた広大な領域を占め、系統発生的にヒトで最も発達した脳領域である。前頭前野は機能的・解剖学的に複数の下位領域に分けられる。背外側前頭前野(dorsolateral PFC: DLPFC)はワーキングメモリの保持と操作、計画立案、認知的柔軟性に中心的役割を果たし、ブロードマン領野の9野と46野に対応する。腹外側前頭前野(ventrolateral PFC: VLPFC)は言語性ワーキングメモリや意味情報の検索・選択に関与し、44野・45野・47野に対応する。前部帯状皮質(anterior cingulate cortex: ACC)は葛藤モニタリング(複数の反応傾向の競合検出)とエラー検出に関与する。前頭極(frontopolar cortex)は複数の目標の統合や将来計画に関与し、10野に対応する。これらの前頭前野下位領域は孤立して機能するのではなく、頭頂葉・側頭葉・皮質下構造(基底核・視床)と広範なネットワークを形成する。特に前頭-頭頂ネットワークは、注意制御と作動記憶において重要であり、背外側前頭前野と後頭頂皮質が協調して働く。前頭-線条体ループは、目標指向的行動の選択と実行において、前頭前野と基底核(特に線条体)が双方向的に連絡する回路である。ドーパミン系はこのループの調節に関与し、作動記憶の更新や報酬に基づく行動選択に影響する。fNIRS研究では、その測定範囲の制約から、主に前頭前野の表層部(背外側・腹外側前頭前野)の活動が測定対象となる。実行機能課題遂行時の前頭前野活動を測定することで、認知制御の神経機序や個人差、発達的変化、臨床的障害の理解が進展している。
③ 言語は人間に固有の高次認知機能であり、その神経基盤の解明は認知脳科学の中心的テーマの一つである。19世紀の神経心理学的症例研究により、言語機能の脳内局在が明らかにされた。ポール・ブローカ(Paul Broca, 1861)は、左前頭葉損傷患者が発話産出の困難(運動性失語)を示すことを報告し、この領域はブローカ野(Broca's area)と呼ばれる。ブローカ野は左半球の下前頭回後部(ブロードマン44野・45野)に位置し、言語産出・統語処理・音韻操作に関与する。ブローカ失語患者は、理解は比較的保たれるが、発話は非流暢で文法的誤りが多く、機能語(助詞・接続詞など)の欠落が特徴的である。カール・ウェルニッケ(Carl Wernicke, 1874)は、左側頭葉損傷患者が言語理解の障害(感覚性失語)を示すことを報告し、この領域はウェルニッケ野(Wernicke's area)と呼ばれる。ウェルニッケ野は左半球の上側頭回後部(ブロードマン22野)に位置し、聴覚的言語理解・意味処理に関与する。ウェルニッケ失語患者は、発話は流暢だが意味的に空疎であり、語の選択誤り(錯語)が多く、言語理解が著しく障害される。ブローカ野とウェルニッケ野は弓状束(arcuate fasciculus)という白質線維束で連絡され、言語情報の統合を支える。現代の脳機能イメージング研究により、言語処理はブローカ野・ウェルニッケ野だけでなく、より広範な皮質領域(下前頭回・中側頭回・角回・縁上回など)と皮質下構造(視床・基底核)を含む分散ネットワークによって実現されることが明らかになっている。また、言語の左半球優位性(約95%の右利き者、約70%の左利き者)は確立しているが、右半球も韻律(イントネーション)や比喩理解などに寄与する。
④ 言語処理は、複数の処理レベルが階層的・並列的に機能することで実現される。音韻処理(phonological processing)は、音声の知覚・分析・操作に関わる処理である。聴覚入力から音素(言語の最小単位)を識別し、音韻表象を構築する。音韻処理には、上側頭回・縁上回が関与し、音韻ループ(作動記憶の一部)は左下前頭回と左頭頂葉の連携によって支えられる。音読課題や単語の復唱課題は、音韻処理を評価するために用いられる。統語処理(syntactic processing)は、文法規則に基づいて単語を組織化し、文構造を構築・理解する処理である。統語処理には、ブローカ野を含む左下前頭回が中心的役割を果たすことが、多くの研究で示されている。統語的に複雑な文(埋め込み文、受動文など)の理解や産出は、前頭葉の作動記憶資源を多く必要とし、統語処理と作動記憶の相互作用が示唆される。意味処理(semantic processing)は、単語や文の意味を理解し、概念知識と統合する処理である。意味処理には、ウェルニッケ野を含む左上側頭回・中側頭回、および左下前頭回前部(45野・47野)が関与する。意味的に関連する単語間では処理が促進される(意味プライミング効果)、意味的逸脱文は特異的な脳活動(N400成分など)を引き起こすといった現象が知られている。これら三つの処理レベルは、時間的に連続しながらも相互作用する。例えば、文の理解においては、音韻情報から語彙にアクセスし(音韻処理)、統語構造を構築し(統語処理)、文脈に基づいて意味を解釈する(意味処理)という複雑なプロセスが、ミリ秒単位で展開する。言語処理の神経基盤を解明するためには、fNIRSやfMRIによる空間的情報と、EEG/ERPによる時間的情報を統合したアプローチが有効である。
⑤ fNIRSは、前頭前野と側頭葉表層の活動を測定できるため、実行機能と言語処理の研究に広く応用されている。実行機能研究の事例として、ワーキングメモリ課題(n-back課題、スパン課題)遂行時に、背外側前頭前野の両側性活動が観察される。課題負荷(保持する項目数)の増加に伴い、前頭前野活動も増大することが示されている。ストループ課題や Go/No-Go課題などの抑制課題では、下前頭回や前部帯状皮質に対応する領域の活動が報告される。課題切り替え(タスクスイッチング)課題では、切り替え試行において前頭前野の一過性の活動増加が見られ、認知的柔軟性の神経基盤が検討されている。発達研究では、子どもから成人にかけて前頭前野の活動パターンが変化し、成熟に伴い活動がより焦点化・効率化することが示されている。臨床研究では、ADHD児や統合失調症患者において、実行機能課題時の前頭前野活動が健常者と異なるパターンを示すことが報告され、診断マーカーや介入効果の評価への応用が検討されている。言語研究の事例として、音読課題や語想起課題(例:「あ」で始まる単語をできるだけ多く産出する)遂行時に、左下前頭回(ブローカ野周辺)の活動が観察される。文理解課題では、統語的に複雑な文の処理において、左下前頭回の活動増加が報告される。意味判断課題(例:提示された単語が生物か無生物かを判断する)では、左側頭葉および左下前頭回の活動が見られる。二言語話者の研究では、母語と第二言語の処理における前頭前野活動パターンの違いや、習熟度に伴う神経基盤の変化が検討されている。失語症患者のリハビリテーション研究では、言語訓練による脳活動の可塑的変化がfNIRSで追跡され、回復メカニズムの理解や訓練効果の客観的評価に貢献している。fNIRSの利点である測定の自由度を活かし、発話を伴う課題、教室場面での学習、対人相互作用中の言語処理など、従来のfMRIでは困難だった生態学的妥当性の高い研究も展開されている。
キーワード ① 実行機能(executive function) ② ワーキングメモリ・抑制・切り替え(working memory/inhibition/shifting) ③ 背外側前頭前野(dorsolateral prefrontal cortex: DLPFC) ④ ブローカ野・ウェルニッケ野(Broca's/Wernicke's area) ⑤ 音韻処理・統語処理・意味処理(phonological/syntactic/semantic processing)
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第10回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第2回で学習した前頭葉の機能を復習し、前頭前野がどの部位に位置し、どのような高次機能に関与するかを確認しておく。知覚・認知心理学の授業で学習したワーキングメモリ、注意、言語処理の基礎を復習しておく。可能であれば、ストループ課題やn-back課題などの実行機能課題を実際に体験し(オンラインで無料のデモが利用可能)、どのような認知的負荷を感じるか自己観察しておくといっそう理解が深まるだろう。
【復習】
第10回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。実行機能の三つの中核成分(作動記憶・抑制・切り替え)について、それぞれの定義・評価課題・神経基盤を整理する。前頭前野の下位領域(背外側・腹外側・前部帯状皮質・前頭極)の位置と機能を図示し、各領域がどのような認知機能に関与するかをまとめる。自分が関心を持つ研究テーマにおいて、実行機能または言語処理のどの側面をfNIRSで測定できるか、どのような課題を用いるかを構想してみる。

11 情動と意思決定の認知脳科学 科目の中での位置付け 第10回の実行機能・言語に続く高次認知機能研究として、情動と意思決定の神経科学的基盤を学ぶ。情動は認知とは独立した心的機能ではなく、知覚・記憶・判断・行動と密接に相互作用する。特に意思決定において、情動は合理的思考を妨げる要因ではなく、むしろ適応的判断を支える不可欠な要素であることが明らかになっている。情動の神経回路、身体反応との関係、自律神経系との連関を理解することで、第8〜9回で学んだ自律神経反応測定の心理学的意義が深まる。また、社会的認知や共感といった対人的情動プロセスの神経基盤を学ぶことで、第13回以降の応用研究への橋渡しとなる。
コマ主題細目 ① 情動の神経回路―扁桃体・前頭眼窩皮質・島皮質 ② 情動と意思決定の関連-ソマティック・マーカー仮説・報酬系 ③ 情動調整と自律神経反応 ④ 社会的認知と共感の神経科学
細目レベル ① 情動の神経基盤は、皮質下構造と前頭葉を中心とする広範なネットワークによって支えられている。扁桃体(amygdala)は、側頭葉内側の奥深くに位置するアーモンド形の神経核群であり、情動処理、特に恐怖や脅威の検出と学習において中心的役割を果たす。扁桃体は視床や感覚皮質から直接的な入力を受け、刺激の情動的意義を迅速に評価する。恐怖条件づけにおいて、中性刺激(音)と嫌悪刺激(電気ショック)が対呈示されると、扁桃体でその連合が形成され、以後、音単独で恐怖反応が生じる。扁桃体損傷患者は、恐怖表情の認識障害や、危険状況での適切な回避行動の欠如を示す。扁桃体は視床下部や脳幹と連絡し、自律神経反応(心拍増加、発汗、血圧上昇)やホルモン分泌(コルチゾール)を引き起こす。前頭眼窩皮質(orbitofrontal cortex: OFC)は、前頭葉の眼窩面に位置し、報酬や罰の価値評価、情動に基づく意思決定に関与する。OFCは扁桃体と双方向的に連絡し、刺激の情動的価値を文脈や学習歴に基づいて柔軟に更新する。OFC損傷患者(フィニアス・ゲージの症例が有名)は、社会的判断の障害、衝動性、情動調整不全を示す。島皮質(insula または insular cortex)は、外側溝の深部に位置し、内受容感覚(体内からの感覚:心拍、呼吸、内臓感覚)の処理と情動的自覚に関与する。島皮質は身体状態の表象を構築し、「今、自分がどう感じているか」という主観的情動体験の基盤となる。嫌悪感、痛み、共感的苦痛の処理においても島皮質の活動が報告される。これら三つの領域は孤立して機能するのではなく、前部帯状皮質、腹内側前頭前野、海馬などと連携して情動ネットワークを形成し、情動の生成・評価・調整を統合的に実現する。
② ソマティック・マーカー仮説(somatic marker hypothesis)は、神経学者のアントニオ・ダマシオ(Antonio Damasio)が提唱した、情動と意思決定の関係に関する影響力の大きい理論である。この仮説によれば、意思決定は純粋に論理的・合理的なプロセスではなく、過去の経験に基づく身体的・情動的信号(ソマティック・マーカー)によって導かれる。ある選択肢を検討する際、その選択肢が過去に良い結果をもたらした場合は快の身体反応(心地よさ、リラックス)が、悪い結果をもたらした場合は不快の身体反応(不安、緊張、心拍増加)が喚起される。これらの身体的信号は、無意識的または意識的に意思決定を偏向させ、有害な選択を回避し、有益な選択を促進する。ダマシオは、前頭眼窩皮質や腹内側前頭前野の損傷患者が、日常生活での意思決定に著しい障害を示すことを観察した。これらの患者は、知能テストでは正常な成績を示すにもかかわらず、対人関係・職業・財務管理などの実生活場面で不適切な判断を繰り返す。アイオワ・ギャンブリング課題(Iowa Gambling Task)は、ソマティック・マーカー仮説を検証するために開発された実験パラダイムである。参加者は4つのカードデッキから繰り返しカードを選び、各カードは報酬または罰(金銭の獲得または喪失)をもたらす。2つのデッキは短期的には大きな報酬を与えるが長期的には損失が大きく(不利なデッキ)、他の2つは報酬は小さいが長期的には利益が大きい(有利なデッキ)。健常者は試行を重ねるにつれて有利なデッキを選択するようになるが、前頭眼窩皮質損傷患者は不利なデッキを選び続ける。興味深いことに、健常者は有利なデッキを意識的に認識する前から、不利なデッキ選択時に皮膚コンダクタンス反応(予期的SCR)を示し、身体的信号が意識的認識に先行して意思決定を導く証拠とされる。ソマティック・マーカー仮説は、情動と理性の二分法を超え、適応的な意思決定における情動と身体の本質的役割を強調する点で重要である。
報酬系(reward system)は、快感や動機づけに関わる神経回路であり、生存や繁殖に関連する行動(摂食、性行動、社会的交流など)を強化する生物学的基盤である。報酬系の中核は中脳辺縁系ドーパミン経路であり、中脳の腹側被蓋野(ventral tegmental area: VTA)からドーパミン神経が、側坐核(nucleus accumbens)、前頭眼窩皮質、前部帯状皮質などに投射する。報酬を予測する刺激や報酬の獲得時に、VTAのドーパミン神経が活動し、側坐核でドーパミンが放出される。ドーパミンは報酬そのものよりも、報酬予測誤差(reward prediction error)、すなわち予測と実際の報酬の差分を符号化することが、シュルツ(Schultz)らの電気生理学的研究で明らかにされた。予想以上の報酬が得られればドーパミン神経は発火を増加させ(正の予測誤差)、予想より少なければ発火を減少させる(負の予測誤差)。この報酬予測誤差信号は、強化学習(reinforcement learning)の理論モデルと対応し、行動の価値を更新し、将来の意思決定を最適化する計算的基盤となる。報酬系の機能不全は、依存症(薬物・ギャンブル・ゲーム)、うつ病(報酬に対する反応性低下、無快感症)、統合失調症(ドーパミン系の異常)など、多様な精神医学的病態と関連する。意思決定研究では、報酬の大きさだけでなく、遅延(即時報酬vs遅延報酬)、確率(確実な報酬vs不確実な報酬)、リスク(損失の可能性)といった要因が、報酬系の活動パターンと選択行動にどのように影響するかが検討されている。時間割引(temporal discounting)は、遅延報酬の主観的価値が時間とともに減少する現象であり、衝動的な個人ほど急峻な割引を示す。fMRIやfNIRS研究により、報酬の主観的価値は腹内側前頭前野で符号化され、認知制御による衝動抑制には背外側前頭前野が関与することが示されている。報酬系と認知制御系のバランスが、適応的な意思決定を支える神経基盤である。

③ 情動調整(emotion regulation)とは、情動の生起・強度・持続・表出を意図的または自動的に変容させるプロセスである。適応的な情動調整は精神的健康の重要な要素であり、調整不全は不安症・うつ病・境界性パーソナリティ障害などの病態に関連する。心理学者グロス(Gross)は、情動調整の過程モデルを提唱し、情動生起の時間的段階(状況選択・状況修正・注意配分・認知的変容・反応調整)に応じた調整方略を分類した。認知的再評価(cognitive reappraisal)は、情動を喚起する状況の意味を再解釈する方略であり(例:失敗を学習機会と捉え直す)、前頭前野による認知制御を要する。表出抑制(expressive suppression)は、情動的反応の外的表出(表情、声など)を抑制する方略である。多くの研究が、認知的再評価は情動体験と生理的反応の両方を低減させ長期的に適応的であるのに対し、表出抑制は外的表出のみを抑え、主観的体験や生理的反応はむしろ増大させる傾向があることを示している。情動調整の神経基盤として、前頭前野(特に背外側・腹外側前頭前野)が扁桃体の活動を下方制御(down-regulation)するメカニズムが注目されている。fMRI研究では、認知的再評価課題において前頭前野の活動増加と扁桃体の活動減少が観察され、両者の機能的結合が情動調整能力と相関することが示されている。自律神経反応は、情動調整の客観的指標として有用である。情動喚起刺激に対する心拍変動(特にHFパワー)、皮膚コンダクタンス、呼吸パターンの変化を測定することで、情動調整方略の生理的効果を評価できる。例えば、認知的再評価は副交感神経活動(HF-HRV)を増加させ、情動的覚醒を抑制することが報告される。情動調整訓練(マインドフルネス、認知行動療法など)の効果評価においても、自律神経指標は主観的報告を補完する客観的アウトカムとして活用されている。fNIRSと自律神経反応測定を組み合わせることで、情動調整における脳-身体相互作用の動的プロセスを捉えることが可能になる。
④ 人間は本質的に社会的存在であり、他者の心的状態を理解し、情動的に共鳴する能力は、社会的適応に不可欠である。社会的認知(social cognition)は、他者に関する情報の知覚・解釈・記憶・推論を含む広範な認知プロセスを指す。その中核的要素として心の理論(theory of mind)がある。これは、他者が自分とは異なる信念・欲求・意図を持つことを理解し、それに基づいて他者の行動を予測・説明する能力である。心の理論の神経基盤として、内側前頭前野、側頭頭頂接合部(temporoparietal junction: TPJ)、後帯状皮質/楔前部から成る「心の理論ネットワーク」が同定されている。これらの領域は、他者視点取得や信念推論の課題で一貫して活動する。共感(empathy)は、他者の情動状態を理解し、それに対して適切に反応する能力であり、認知的成分と情動的成分から構成される。認知的共感は、他者の視点や感情を理解する能力であり、心の理論と重なる。情動的共感は、他者の情動を自分も感じる能力(情動的共鳴)である。他者の苦痛を観察すると、自分が苦痛を体験する時と共通の脳領域(前部帯状皮質、前部島皮質)が活動することが、多くのfMRI研究で示されている。これは、他者理解が身体シミュレーション(他者の状態を自分の身体で模擬的に体験すること)に基づくというシミュレーション理論を支持する証拠とされる。ミラーニューロンシステムも、他者理解のメカニズムとして注目されている。ミラーニューロンは、自分が行為を実行する時と他者の同じ行為を観察する時の両方で活動する神経細胞であり、サルの前運動野で発見された。ヒトでは、下前頭回・下頭頂小葉がミラーニューロンシステムの候補とされ、行為理解・模倣・共感に関与すると考えられている。社会的認知の障害は、自閉スペクトラム症の中核的特徴であり、心の理論課題の困難、共感能力の低下、社会的相互作用の質的障害として現れる。fNIRS研究では、対面相互作用場面での前頭前野活動の同期(ハイパースキャニング)を測定することで、社会的協調や共感的交流の神経基盤が検討されている。自律神経反応(特に心拍同期)も、対人的情動共有の指標として注目されている。
キーワード ① 情動の神経回路(扁桃体・前頭眼窩皮質・島皮質) ② ソマティック・マーカー仮説 ③ 報酬系・報酬予測誤差 ④ 情動調整 ⑤ 共感・心の理論
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第11回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第2回で学習した扁桃体などの皮質下構造、第8回で学習した情動の生理学(ストレス反応、自律神経系)を復習しておく。認知心理学や社会心理学の授業で学習した情動、意思決定、共感、心の理論の基礎概念を確認しておくと理解しやすい。可能であれば、ダマシオの著書『デカルトの誤り』も読んでおくと良いだろう。
【復習】
第11回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。扁桃体・前頭眼窩皮質・島皮質の位置と機能をまとめ、各領域がどのような情動プロセス(恐怖検出、価値評価、内受容感覚など)に関与するかをまとめる。報酬系の神経回路(VTA-側坐核経路)と報酬予測誤差の概念を整理し、強化学習との関係を理解する。心の理論と共感の違い、それぞれの神経基盤(心の理論ネットワーク、ミラーニューロンシステムなど)を整理する。

12 臨床・精神医学領域への応用―精神疾患と神経心理学的評価 科目の中での位置付け これまで学習してきたfNIRSおよび自律神経反応測定の技術と、実行機能・言語・情動に関する神経科学的知見を、臨床心理学・精神医学の領域にどのように応用できるかを学ぶ。精神疾患や発達障害における脳機能・自律神経機能の特徴を理解することは、病態メカニズムの解明、客観的評価指標の開発、介入効果の検証において重要である。特にニューロフィードバック療法は、脳活動の測定と介入を統合した革新的アプローチである。本回を通じて、基礎研究と臨床実践を架橋する視点を獲得する。
コマ主題細目 ① 精神疾患における脳機能研究 ② 発達障害における脳機能研究 ③ ニューロフィードバック療法への応用 ④ 臨床評価への脳活動・自律神経反応計測の活用と限界
細目レベル ① うつ病(major depressive disorder)は、持続的な抑うつ気分、興味・喜びの喪失(無快感症)、意欲低下、睡眠障害、食欲変化などを特徴とする気分障害である。うつ病の神経生理学的特徴として、前頭前野の活動低下が一貫して報告されている。特に背外側前頭前野(DLPFC)の低活動は、実行機能障害や認知的柔軟性の低下と関連する。fNIRS研究では、語流暢性課題や作動記憶課題遂行時に、うつ病患者において健常者と比較して前頭前野の活動が減弱することが示されている。また、報酬系の機能不全(腹側線条体の活動低下)により、報酬予測や報酬獲得時の喜びが減弱し、無快感症が生じると考えられている。自律神経系では、HRVの低下(特にHFパワーの減少)が報告され、副交感神経活動の低下とストレス脆弱性の増大が示唆される。HPA軸の過活動によるコルチゾール分泌亢進も、慢性ストレス状態の指標として観察される。
不安症(anxiety disorders)は、過剰な不安や恐怖を特徴とする障害群であり、全般性不安症、社交不安症、パニック症、特定恐怖症などを含む。不安症の神経基盤として、扁桃体の過活動が中心的特徴である。脅威刺激や曖昧な刺激に対して扁桃体が過剰に反応し、恐怖反応が不適切に喚起される。前頭前野(特に腹内側前頭前野)による扁桃体の下方制御が不十分であることも、不安症の病態に関与する。自律神経系では、交感神経系の過活動が特徴的であり、安静時心拍数の上昇、皮膚コンダクタンス水準の上昇、HRVの低下(自律神経バランスの乱れ)が観察される。パニック症では、呼吸パターンの異常(過換気傾向)も報告される。認知行動療法などの心理療法により、扁桃体活動の正常化や自律神経バランスの改善が生じることが、脳画像研究や生理指標研究で示されている。
統合失調症(schizophrenia)は、幻覚・妄想などの陽性症状、感情鈍麻・意欲低下などの陰性症状、認知機能障害を特徴とする重篤な精神疾患である。統合失調症の神経基盤は複雑であるが、前頭前野の機能不全が顕著であり、特に作動記憶課題や実行機能課題遂行時の前頭前野活動の低下または異常パターンが報告されている。fNIRS研究では、語流暢性課題時の前頭前野活動が健常者と異なるパターンを示し、病状や認知機能障害の重症度と相関することが示されている。また、ドーパミン系の異常(中脳辺縁系ドーパミン経路の過活動、中脳皮質系の低活動)が、陽性症状および認知機能障害と関連すると考えられている。自律神経系では、HRVの低下や自律神経バランスの乱れが報告され、心血管疾患のリスク増加にも関連する。抗精神病薬治療により、ドーパミン系の調整とともに、前頭前野機能や自律神経機能の改善が観察される場合がある。

② 発達障碍(neurodevelopmental disorders)は、発達期に顕在化する神経発達の障害であり、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)などを含む。これらの障害における脳機能の特徴を理解することは、早期発見・介入や支援方法の開発に寄与する。自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)は、社会的コミュニケーションの困難、限定的・反復的な行動パターンを特徴とする。ASDの神経基盤として、社会脳ネットワーク(内側前頭前野、側頭頭頂接合部、扁桃体、上側頭溝)の機能的連結性の異常が報告されている。fNIRS研究では、顔認識課題や心の理論課題遂行時に、ASD児において定型発達児と異なる前頭-側頭領域の活動パターンが観察される。また、ミラーニューロンシステムの機能不全が、他者理解や模倣の困難に関連する可能性が示唆されている。自律神経系では、社会的場面での過覚醒(心拍増加、SCR増加)や、感覚刺激に対する過敏性が報告される。
注意欠如多動症(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder: ADHD)は、不注意、多動性、衝動性を特徴とする。ADHDの神経基盤として、前頭-線条体回路の機能不全が中心的である。特に背外側前頭前野と尾状核の活動低下が、実行機能(抑制制御、作動記憶)の障害と関連する。fNIRS研究では、Go/No-Go課題やストループ課題などの抑制課題遂行時に、ADHD児において前頭前野の活動が減弱することが報告されている。また、報酬系の機能不全(遅延報酬に対する反応性低下)が、衝動性や動機づけの問題に関与すると考えられている。薬物療法(メチルフェニデートなど)は、ドーパミン系を調節し、前頭-線条体回路の機能を改善することで効果を発揮する。
限局性学習症(Specific Learning Disorder: SLD)は、読字・書字・算数などの特定学習領域における困難を特徴とする。発達性読字障害(dyslexia)では、音韻処理の障害が中心的であり、左半球の側頭-頭頂領域(角回、縁上回)および下前頭回の機能不全が報告されている。fNIRS研究では、音韻課題や読字課題遂行時に、dyslexia児において定型発達児と異なる活動パターンが観察され、介入による脳活動の可塑的変化も報告されている。発達障害研究におけるfNIRSの利点は、乳幼児や子どもに対する測定の容易さ、発話や身体運動を伴う課題への適用可能性であり、発達的変化の縦断的追跡や介入効果の客観的評価に貢献している。

③ ニューロフィードバック(neurofeedback)は、脳活動をリアルタイムで測定し、その情報を視覚的・聴覚的フィードバックとして参加者に提示することで、脳活動の自己調整を学習させる介入技法である。オペラント条件づけの原理に基づき、望ましい脳活動パターンが生じた時に報酬(ポジティブフィードバック)を提示することで、その脳活動を増強・維持する学習が促進される。従来、ニューロフィードバックはEEGを用いて実施されてきた。たとえば、注意欠如多動症(ADHD)児に対し、注意集中時に増加するβ波(13〜30 Hz)を増強し、不注意時に増加するθ波(4〜7 Hz)を抑制するトレーニングを行い、注意機能の改善を目指す。近年、fNIRSを用いたニューロフィードバック研究も増加している。fNIRS-ニューロフィードバックの利点は、空間分解能がEEGより優れ、特定の脳領域(例:前頭前野)の活動を標的とできること、装置が小型で日常的な環境でも実施可能なことである。うつ病に対するfNIRS-ニューロフィードバックでは、背外側前頭前野の活動を増強するトレーニングが試みられ、抑うつ症状の軽減や認知機能の改善が報告されている。不安症に対する応用では、扁桃体活動の下方制御(fMRI-ニューロフィードバックで実証)や、前頭前野による情動調整能力の強化が目指されている。自律神経バイオフィードバックも、HRVフィードバック(呼吸ペーシングにより副交感神経活動を増強)、皮膚コンダクタンスフィードバック(リラクセーション訓練)として、ストレス関連障害や不安症の治療に応用されている。ニューロフィードバック療法の効果については、プラセボ対照研究や長期フォローアップ研究が必要であり、現時点では標準的治療の補助的位置づけにあるが、将来的には個別化医療の一環として発展する可能性がある。
④ 精神疾患や発達障碍の臨床評価において、生理指標(脳活動・自律神経反応)を活用する試みが進んでいる。その利点として、第一に客観性がある。従来の診断は主に問診や行動観察に依存し、評価者の主観や患者の報告バイアスの影響を受けやすいが、生理指標は客観的・定量的なデータを提供する。第二に、意識上に上らない過程や言語化困難な状態の評価が可能である。幼児や重度の認知障害者など、自己報告が困難な対象者からも、生理指標を通じて情報を得られる。第三に、介入効果の評価において、主観的改善だけでなく神経生理学的変化を捉えることで、治療メカニズムの理解が深まる。第四に、早期発見・予測への応用可能性がある。発症前のリスク個体において、生理指標の異常パターンが予測マーカーとなる可能性が検討されている。
その一方で、限界も認識する必要がある。第一に、診断特異性の不足がある。多くの生理指標の異常は複数の疾患に共通して見られ(例:前頭前野の活動低下はうつ病・統合失調症・ADHDで報告される)、特定の疾患に固有のバイオマーカーとみなすことはできない。第二に、個人差・測定誤差の大きさがある。生理指標は個人間変動が大きく、健常者と患者群の分布が重複する場合が多いため、個人レベルでの診断には慎重さが求められる。第三に、生態学的妥当性の問題がある。実験室での測定条件と日常生活の状況は大きく異なり、実験室データが実生活での機能をどの程度反映するかは不明確である。第四に、倫理的・実用的課題がある。測定には時間・コスト・専門的技術が必要であり、すべての臨床場面で実施可能ではない。また、生理データの解釈には専門知識が必要であり、誤解や誤用のリスクもある。
現時点では、生理指標は従来の臨床評価を補完するツールとして位置づけられ、問診・心理検査・行動観察と組み合わせた多元的評価のアプローチが推奨される。将来的には、機械学習を用いた多変量パターン解析により、複数の生理指標を統合した診断支援システムの開発が期待されている。

キーワード ① 精神疾患 ② 発達障碍 ③ ニューロフィードバック ④ 社会脳ネットワーク ⑤ バイオマーカー
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第12回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。臨床心理学や精神医学の授業で学習したうつ病・不安症・統合失調症・ASD・ADHDの基本的な症状と診断基準を復習しておく。。
【復習】
第12回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。うつ病・不安症・統合失調症の神経生理学的特徴を、脳機能(fNIRS/fMRI所見)と自律神経機能(HRV、SCRなど)の両面から整理する。ASD、ADHD、SLDの神経基盤の違いと共通点を整理し、それぞれの障害特性との対応関係を理解する。臨床評価における生理指標の利点と限界を、具体例とともにリスト化し、どのような場面で有用か、どのような注意が必要かを考察する。(将来臨床領域で働きたいと考えている方は)自分が将来的に関わりたい臨床領域において、fNIRSや自律神経反応測定をどのように活用できるかを構想しておく。

13 産業・消費者行動領域への応用―ニューロマーケティングと消費者行動 科目の中での位置付け 認知脳科学と心理生理学の知見を産業・消費者行動領域に応用する具体例として、ニューロマーケティングを扱う。第12回の臨床応用に続き、脳活動・自律神経反応測定が実社会のどのような場面で活用されているかを学ぶ。消費者の意思決定プロセスにおける情動・認知・動機づけの神経基盤を理解することで、第10〜11回で学んだ実行機能・情動・意思決定の理論が実践的文脈でどのように機能するかを捉える。また、脳情報の商業利用に伴う倫理的課題を検討することで、技術の社会実装における研究者の責任と倫理的思考力を養う。

コマ主題細目 ① ニューロマーケティングの定義と手法 ② 広告効果と脳活動 ③ 購買意思決定プロセスの神経科学 ④ 倫理的課題―脳情報の商業利用
細目レベル ① ニューロマーケティング(neuromarketing)は、神経科学・心理学の知見と技術をマーケティングに応用する学際的領域であり、2000年代初頭から急速に発展してきた。従来のマーケティングリサーチは、アンケート調査やインタビューといった顕在的な消費者の意見に依存していたが、消費者自身が自分の選好や購買動機を必ずしも正確に言語化できるわけではない。ニューロマーケティングは、脳活動や生理反応を測定することで、消費者の無意識的な反応や情動的評価を客観的に捉え、より深い消費者理解を目指す。主要な測定手法として、まずfMRIがある。高い空間分解能により、報酬系(腹側線条体)、情動系(扁桃体、島皮質)、意思決定系(前頭眼窩皮質、背外側前頭前野)の活動を詳細に可視化できる。ブランド選択や価格評価の神経基盤を調べる研究で広く用いられる。EEGは、時間分解能が高く、広告視聴時の注意や情動的覚醒の時間的変化を捉えられる。また、装置が比較的安価で持ち運び可能なため、実際の店舗環境での測定にも応用されている。fNIRSは、fMRIより空間分解能は劣るが、自然な姿勢での測定が可能で、前頭前野の活動を評価できる。製品比較時の認知的負荷や意思決定プロセスの研究に用いられる。自律神経反応測定(心拍変動、皮膚コンダクタンス、瞳孔径、表情筋電図)は、情動的覚醒や快-不快の評価を反映する。広告映像の各シーンに対する情動反応を時系列で追跡し、効果的な要素を特定するために活用される。最後に、アイトラッキング(眼球運動計測)は、視覚的注意の配分を測定し、広告やパッケージデザインのどの部分に注意が向けられるかを明らかにする。これらの手法を組み合わせることで、多面的な消費者反応の理解が可能になる。
② 広告は消費者の認知・情動・行動に影響を与えることを目的とするが、その効果を予測することは容易ではない。ニューロマーケティング研究は、広告視聴時の脳活動を測定することで、広告効果の神経基盤を解明しようとする。注意の獲得は広告効果の第一段階である。視覚的に顕著な刺激、新奇な刺激、情動的刺激は、前頭-頭頂注意ネットワークや扁桃体を活性化し、注意を捕捉する。アイトラッキングと脳活動測定を組み合わせることで、視覚的注意と神経活動の対応が検討される。情動的反応は広告の記憶定着と態度形成に重要である。ポジティブな情動を喚起する広告(ユーモア、感動的ストーリー)は、報酬系(腹側線条体)や内側前頭前野を活性化する。ネガティブな情動(恐怖訴求広告)は扁桃体を活性化するが、過度の恐怖は防衛的反応を引き起こし、逆効果となる可能性もある。記憶への符号化において、海馬と内側側頭葉の活動は、広告内容の長期記憶への定着を予測する。広告視聴時のこれらの領域の活動が強いほど、後日の再認成績が高いことが示されている。ブランド選好の形成において、前頭眼窩皮質は製品やブランドの主観的価値を符号化する。有名ブランドのロゴを見るだけで、この領域が活性化し、ポジティブな情動反応が生じることが報告されている。説得と態度変容のプロセスでは、内側前頭前野の活動が自己関連性の処理を反映し、広告メッセージが自分にとって意味があると感じられる時に活性化する。また、広告の信頼性評価には背外側前頭前野が関与し、批判的思考や情報の吟味が行われる。興味深い研究例として、コカコーラとペプシのブラインドテストでは味の好みと脳活動(腹側線条体)が対応するが、ブランド名を明示した条件では、ブランドイメージが味覚評価を上回り、前頭前野や海馬の活動パターンが変化することが示されている。これは、ブランドが単なる製品識別を超えて、消費者の知覚と価値判断に深く影響することの神経科学的証拠である。
③ 消費者の購買意思決定は、単純な合理的計算ではなく、情動・動機づけ・社会的影響などの複雑な要因が相互作用するプロセスである。価値評価は意思決定の中核であり、前頭眼窩皮質(OFC)と腹内側前頭前野(vmPFC)が製品の主観的価値を符号化する。価値は、製品の機能的属性だけでなく、ブランドイメージ、社会的地位、自己概念との一致性などの要因によって調整される。価格評価と支払いの苦痛において、価格が高すぎると感じられる時、島皮質(嫌悪感・苦痛の処理)が活性化し、購買意欲が抑制される。一方、「お買い得」と感じられる時は、報酬系(側坐核)が活性化し、購買行動が促進される。この価値と価格のトレードオフを脳活動から予測する試みもなされている。選択の葛藤が生じる時(複数の魅力的な選択肢がある、または損失回避と報酬追求が競合する時)、前部帯状皮質(ACC)が活性化する。ACCは葛藤モニタリングに関与し(第10回参照)、背外側前頭前野による認知的統制を動員する。時間割引と衝動性は、即時の小さな報酬と遅延された大きな報酬の選択において現れる。衝動的な消費者は急峻な時間割引を示し、即時報酬に対する腹側線条体の反応が強い一方、認知制御に関わる背外側前頭前野の活動が弱い傾向がある。社会的影響と同調において、他者の選択や評価は自分の意思決定に影響する。他者の評価と自分の評価が一致しない時、ACCが活性化し、社会的同調圧力が生じる。流行やレビュー評価が購買行動に影響を与える神経基盤として、側坐核や内側前頭前野の活動変化が報告されている。購買後の満足と後悔も研究対象である。満足は報酬系の活性化と関連し、後悔(選択しなかった選択肢の方が良かったという認識)は前頭眼窩皮質の活動と関連する。後悔の予期は将来の意思決定を調整し、学習を促進する。これらの神経科学的知見は、消費者行動理論(プロスペクト理論、メンタルアカウンティングなど)の神経基盤を明らかにし、行動経済学との融合を促進している。
④ ニューロマーケティングの発展は、技術的・学術的進歩である一方、深刻な倫理的課題を提起している。第一に、消費者操作(consumer manipulation)の懸念がある。脳の無意識的反応を測定し、それを利用して消費者の選択を誘導することは、消費者の自律性を侵害する可能性がある。特に脆弱な集団(子ども、認知機能が低下した高齢者)に対する応用は、より深刻な倫理的問題を伴う。「脳を読む」技術が消費者の抵抗を回避する強力な説得手段として悪用されるリスクがある。第二に、プライバシーと脳情報の保護の問題がある。脳活動データは個人の内的状態(選好・情動・価値観)を反映する極めてセンシティブな情報であり、その収集・保存・利用には厳格なプライバシー保護が必要である。データの漏洩や不正利用(例:政治的意図での利用)のリスクも考慮すべきである。第三に、科学的知見の誇張と誤用の問題がある。ニューロマーケティング企業の中には、脳画像の説得力を利用して、科学的に十分に検証されていない主張を行う例も見られる。「この広告は脳の報酬系を活性化するから必ず効果がある」といった単純化は、脳と行動の複雑な関係を無視した誤解である。第四に、インフォームドコンセントと透明性の問題がある。ニューロマーケティング研究の参加者は、自分のデータがどのように使用されるか、商業的目的であることを十分に理解したうえで同意しているか。また、消費者は自分が脳科学的技術によって影響を受けていることを知る権利があるか。第五に、研究者の責任として、ニューロマーケティング研究に関与する神経科学者・心理学者は、自身の研究が社会にどのような影響を与えるかを考慮し、倫理的ガイドラインに従う責任がある。一部の神経科学者は、ニューロマーケティングへの協力を倫理的理由から拒否している。倫理的対応策として、透明性の確保(研究目的・方法の開示)、厳格なインフォームドコンセント、データ保護の徹底、研究倫理審査の実施、業界の自主規制と倫理ガイドラインの策定、消費者教育(ニューロマーケティング技術の存在と影響についての啓発)が求められる。ニューロマーケティングは、適切に実施されれば消費者と企業の双方に利益をもたらす可能性があるが、倫理的配慮を欠いた応用は、消費者の権利を侵害し、神経科学への社会的信頼を損なうリスクがある。
キーワード ① ニューロマーケティング ② 報酬系・腹側線条体 ③ 主観的価値 ④ 時間割引 ⑤ 消費者操作
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第13回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第11回で学習した情動・意思決定の神経科学(報酬系、ソマティック・マーカー仮説、時間割引など)を復習し、それらが消費者行動とどのように関連するかを考えておく。マーケティングや消費者心理学の基礎(購買意思決定プロセス、ブランドロイヤルティ、広告効果など)について、関連科目で学習した内容を確認しておく。可能であれば、ニューロマーケティングに関する一般向けの記事や書籍を読み、どのような研究事例があるか把握しておくとよい。
【復習】
第13回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。購買意思決定プロセスにおける神経科学的知見(価値評価、価格評価、選択の葛藤、時間割引、社会的影響)を整理し、各プロセスに関与する脳領域をまとめる。ニューロマーケティングの倫理的課題(消費者操作、プライバシー、科学的誇張、インフォームドコンセント、研究者の責任)をリスト化し、それぞれの課題に対する対応策を考察する。自分自身の消費行動(広告への反応、製品選択、ブランド選好など)を振り返り、今回学んだ神経科学的知見で解釈してみる。

14 司法・犯罪領域への応用-神経犯罪学・責任能力と自由意志の問題 科目の中での位置付け 認知脳科学の応用領域の中でも最も論争的かつ社会的影響の大きい司法・犯罪学領域を扱う。第13回の産業応用に続き、脳科学が実社会のどのような場面で活用され、同時にどのような深刻な倫理的・哲学的問題を提起するかを学ぶ。犯罪行動の神経生物学的基盤を理解することは、犯罪者の理解・予防・処遇において有益な知見をもたらす一方、決定論・自由意志・刑事責任といった根本的な問いを投げかける。本回を通じて、脳科学の知見を社会に応用する際の科学者としての責任と、技術の限界を認識する批判的思考力を養う。
コマ主題細目 ① 犯罪行動の神経生物学的基盤 ② 各種犯罪の犯人の脳の特徴 ③ 倫理的課題―脳科学的証拠の法的有効性・責任能力と自由意志の問題
細目レベル ① 犯罪行動は複雑な社会的・心理的・生物学的要因の相互作用によって生じるが、近年の神経科学研究は、特定の脳領域の構造的・機能的異常が反社会的行動や暴力性と関連することを示してきた。前頭葉、特に前頭前野の機能不全が最も一貫して報告されている。前頭前野は衝動制御・計画立案・道徳的判断・共感といった社会的認知機能に関与し(第10・11回参照)、その障害は反社会的行動のリスク要因となる。暴力犯罪者を対象としたfMRI研究では、背外側前頭前野・腹内側前頭前野・前頭眼窩皮質の灰白質体積減少や、実行機能課題遂行時の活動低下が報告されている。扁桃体の機能異常も重要である。扁桃体は恐怖・脅威の処理と情動学習に関与し(第11回参照)、その機能不全はサイコパシー(精神病質)の中核的特徴である共感性の欠如や恐怖条件づけの障害と関連する。サイコパシー傾向の高い個人では、他者の苦痛表情に対する扁桃体の反応が減弱することが示されている。前部帯状皮質と島皮質の異常も報告され、これらは情動処理・共感・道徳的判断に関与する。報酬系の機能異常、特に腹側線条体のドーパミン系の過活動は、報酬への過敏性と衝動性を高め、薬物依存や病的賭博といった依存症関連犯罪と関連する可能性がある。神経伝達物質系の異常として、セロトニン系の機能低下は衝動的攻撃性と関連し、モノアミン酸化酵素A(MAOA)遺伝子の低活性型変異は、幼少期の虐待と相互作用して反社会的行動リスクを高めることが示されている(遺伝-環境相互作用)。重要なのは、これらの神経生物学的要因が決定論的に犯罪を引き起こすわけではなく、社会経済的要因・養育環境・トラウマ体験・文化的規範などと複雑に相互作用することである。脳の異常は犯罪のリスク要因の一つであり、十分条件ではない。
反社会性パーソナリティ障害(Antisocial Personality Disorder: ASPD)は、他者の権利の無視、法律や社会規範の違反、衝動性、攻撃性、無責任さを特徴とする。サイコパシー(psychopathy)はASPDと重なるが、より狭い概念であり、表面的な魅力、誇大性、冷淡さ、共感性の欠如、良心の欠如といった情動的・対人的特徴を強調する。サイコパシーは、ヘア(Hare)のサイコパシー・チェックリスト改訂版(PCL-R)によって評価され、因子1(対人的・情動的特徴)と因子2(反社会的ライフスタイル)に分けられる。神経科学研究により、サイコパシーの因子1は扁桃体・前頭眼窩皮質・腹内側前頭前野の機能不全と強く関連することが示されている。前頭葉機能の評価として、アイオワ・ギャンブリング課題(第11回参照)では、サイコパシー傾向の高い個人は不利な選択を繰り返し、前頭眼窩皮質の機能不全を示唆する。ストループ課題やGo/No-Go課題などの抑制制御課題では、反社会的行動を示す個人において前頭前野の活動低下やエラー率の増加が報告される。道徳的判断課題において、健常者は「他者を犠牲にして自己利益を得る」といった道徳的ジレンマに対して内側前頭前野や側頭頭頂接合部が活性化するが、サイコパシー傾向の高い個人ではこれらの活動が減弱し、功利的判断(結果のみを重視)を示しやすい。共感課題では、他者の苦痛場面を観察する時、健常者では前部島皮質や前部帯状皮質が活性化するが、サイコパシー傾向の高い個人では活性化が弱く、共感的苦痛の欠如を示す。前頭葉損傷の症例研究も示唆的である。フィニアス・ゲージやEVRなどの前頭眼窩皮質損傷患者は、損傷後に衝動性・無責任さ・社会的不適切行動を示し、「後天的サイコパシー」と呼ばれる状態を呈する。これは、前頭葉が社会的行動と道徳的判断の神経基盤であることの証拠である。ただし、前頭葉機能の低下を示す人のすべてが犯罪者になるわけではなく、保護因子(良好な家庭環境、教育、社会的支援)が重要な役割を果たす。

② 異なる類型の犯罪は、異なる神経心理学的プロフィールを示す可能性がある。これまでに、一部の罪種の犯人に見られる脳の特徴についても明らかになってきた。衝動的殺人(reactive/impulsive homicide)は、挑発や脅威に対する過剰な攻撃反応として生じる。衝動的暴力犯罪者は、前頭前野(特に腹内側前頭前野)の活動低下と、扁桃体の過活動を示す傾向がある。前頭前野による情動制御の失敗により、扁桃体が媒介する攻撃反応が抑制されないと考えられる。また、セロトニン系の機能低下(髄液中の5-HIAA濃度低下)が衝動的攻撃性と関連することが報告されている。連続殺人(serial murder)や計画的暴力は、衝動的犯罪とは異なる神経プロフィールを示す可能性がある。これらの犯罪者は、計画能力や実行機能は保たれる一方、共感性の欠如や冷淡さ(サイコパシー因子1)を特徴とする。ただし、連続殺人犯の神経科学的研究は、倫理的・実践的理由から極めて限定的である。性犯罪(sexual offenses)、特に小児性愛(ペドフィリア)を伴う性犯罪者において、側頭葉(特に扁桃体・海馬)や前頭葉の構造的・機能的異常が報告されている。一部の研究では、小児性愛者において性的覚醒の調節に関わる脳領域の異常や、性的刺激に対する反応パターンの違いが示されている。ただし、小児性愛という性的嗜好と、実際の性犯罪行為の間には区別が必要であり、すべての小児性愛者が犯罪を犯すわけではない。親密なパートナーへの暴力(Intimate Partner Violence: IPV)の加害者において、前頭前野の機能不全、扁桃体の過活動、情動調整能力の低下が報告されている。また、幼少期の虐待体験やトラウマが脳の発達に影響を与え、成人後のIPV加害リスクを高める可能性が示唆されている。自律神経系の測定では、反社会的行動を示す個人において安静時心拍数の低下が一貫して報告されている。低心拍数は、低覚醒状態を反映し、刺激追求行動や恐怖の鈍麻と関連すると考えられている。ただし、これらの知見は集団レベルの統計的傾向であり、個人レベルでの予測や診断に直接適用することには重大な限界がある。
③ 脳科学の法的応用は、神経法学(neurolaw)という新興分野を形成しているが、深刻な倫理的・法的・哲学的問題を提起している。第一に、脳科学的証拠の法廷での有効性の問題がある。一部の裁判では、被告の脳画像(前頭葉の損傷や機能不全を示すfMRI/PETデータ)が、責任能力の減弱や量刑の軽減を求める証拠として提出されている。しかし、脳画像は印象的で説得力があるように見える一方、その解釈には高度な専門知識が必要であり、神経リアリズム(neurorealism)―脳画像を見ると、その主張が真実であるかのように感じる認知バイアス―のリスクがある。また、集団レベルの統計的関連から個人の行為を因果的に説明することは論理的飛躍である。第二に、責任能力(criminal responsibility)の問題がある。刑法は、犯罪行為時に心神喪失または心神耗弱であった場合、責任能力が否定または減弱されると規定する。しかし、「脳の異常が犯罪行為を引き起こした」という神経科学的証拠は、責任能力の判断をどのように変えるべきか。前頭葉機能の低下が衝動制御の障害を引き起こしたとしても、それは法的な意味での「心神喪失」に該当するのか。明確な基準は存在せず、個別の事例ごとに判断されているのが現状である。第三に、自由意志と決定論の哲学的問題がある。もし人間の行動が脳の物理的・化学的プロセスによって決定されているならば、犯罪者に道徳的・法的責任を問うことは正当化されるのか。神経科学は、意思決定が無意識的な脳活動によって事前に決定されていることを示唆する研究(リベットの実験など)を提示し、自由意志の存在そのものを疑問視する。しかし、法体系は自由意志と責任能力を前提としており、この前提が崩れれば、刑罰の正当性そのものが揺らぐ。第四に、予防と人権の問題がある。脳科学が「犯罪リスクの高い脳」を同定できるとすれば、犯罪予防のために事前介入(監視、強制治療)を行うべきか。これは重大な人権侵害のリスクを伴う。マイノリティ・リポート的な予防拘禁は、倫理的に受け入れがたい。さらに、罪刑法定主義との衝突も避けられないだろう。第五に、スティグマと差別の問題がある。「犯罪者の脳は異常である」という言説は、犯罪者への烙印を強化し、更生の可能性を否定し、社会復帰を困難にする。また、脳の異常が遺伝的・先天的であるという誤解は、優生学的思想を助長するリスクもある。倫理的対応として、神経科学的証拠の限界の認識(集団統計と個人予測の区別、相関と因果の区別)、慎重な法的解釈(脳科学的証拠を他の証拠と総合的に評価)、哲学的議論の継続(自由意志・責任・処罰の意味の再検討)、人権の尊重(予防的介入における比例原則と適正手続き)、社会的要因の重視(脳だけでなく環境・貧困・教育の改善)が求められる。
キーワード ① 前頭葉機能不全(prefrontal dysfunction) ② サイコパシー(psychopathy) ③ 反社会性(antisocial) ④ 神経法学(neurolaw) ⑤ 責任能力・自由意志
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第14回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第10・11回で学習した実行機能・情動・共感・道徳的判断の神経基盤を復習し、それらの障害が反社会的行動とどのように関連するかを考えておく。自由意志に関する哲学的議論(決定論vs自由意志論)について簡単に調べておく。
【復習】
第14回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。犯罪行動の神経生物学的基盤を、脳領域(前頭前野、扁桃体、報酬系など)、神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン)、遺伝-環境相互作用の観点から整理する。各種犯罪(衝動的殺人、連続殺人、性犯罪、IPV)の神経心理学的プロフィールの違いを表形式でまとめてみる。脳科学の法的応用における倫理的課題(脳科学的証拠の有効性、責任能力、自由意志、予防と人権、スティグマ)をリスト化し、それぞれの課題に対する自分なりの考えや考察をまとめてみる。

15 認知脳科学のこれからの姿-「新しいこころの計測学」の確立に向けて 科目の中での位置付け 科目の総括として、これまで学習してきたfNIRS・自律神経反応測定の技術と、実行機能・言語・情動・意思決定に関する神経科学的知見を振り返り、「こころの計測」の意義と限界を批判的に考察する回である。脳機能イメージングの華々しい発展は、「脳を見ればこころが分かる」という過度な期待を生んできたが、科学的・哲学的吟味により、その限界も明らかになっている。中枢神経系と自律神経系の統合的理解、マルチモーダル・アプローチの重要性を学ぶことで、より包括的で妥当な「こころの科学」への展望が可能となる。本科目の学習を通じて得た知識と技術を、今後どのように発展させていくべきかを考える極めて重要な回とするつもりである。
コマ主題細目 ① 「脳を見ればすべてがわかる」という幻想 ② 脳機能計測・自律神経反応が測っているものは何か ③ 脳は独立した器官ではない―身体との統合的理解へ ④ マルチモーダル・アプローチが拓く新たな地平 ⑤ 現代に残された「未解決」な課題―統合的な「こころ」の科学の実現に向けて
細目レベル ① 21世紀は「脳の世紀」と呼ばれ、fMRIをはじめとする脳機能イメージング技術の発展により、人間の心的過程の神経基盤が次々と明らかにされてきた。記憶・言語・情動・意思決定といった高次認知機能が、特定の脳領域の活動として可視化されることで、認知脳科学は飛躍的に発展した。しかし、この成功は同時に「脳を見ればこころのすべてが分かる」という幻想を生み出した。カラフルな脳画像は視覚的に説得力があり、メディアでは「愛の脳科学」「創造性の脳科学」などといった単純化された言説が溢れている。この幻想には複数の問題がある。第一に、技術的限界である。fMRIやfNIRSが測定するのは、神経活動そのものではなく、それに伴う血流動態変化(神経血管カップリング)であり、間接的指標である。時間分解能・空間分解能にも制約があり、ミリ秒単位の神経活動やシナプスレベルのプロセスは捉えられない。第二に、測定される活動の意味の曖昧さである。ある脳領域が活動したからといって、それが何を意味するのかは自明ではない。活動の増加は促進なのか、抑制の失敗なのか、代償的努力なのか。また、活動の減少は効率化なのか、機能不全なのか。文脈や他領域との関係性なしには解釈できない。第三に、心的過程と脳活動の非一対一対応である。同じ心的状態が異なる脳活動パターンで実現されうる(多重実現可能性)、逆に同じ脳活動が異なる心的状態に対応しうる。脳と心の関係は単純な対応関係ではなく、複雑で文脈依存的である。第四に、還元主義の限界である。こころを脳活動に還元することは、心的現象の一側面を捉えるが、主観的体験・意味・価値・文化といった側面は失われる。「愛」を側坐核の活動として記述することは可能だが、それは愛という体験の豊かさを説明し尽くすものではない。脳科学の知見は貴重だが、それは人間理解の一つの視座であり、唯一の真理ではないのだ。
② 脳機能計測と自律神経反応測定が測っているものの本質を理解するために、まず現代の心理学・認知脳科学の到達点を確認する。これらの測定技術が捉えているのは、「こころ」という多層的・動的システムの、特定の側面における、特定の時空間スケールでの、生理学的相関物である。より具体的には、脳機能計測(fNIRS、fMRI)は認知的・情動的処理に伴う神経集団の代謝的需要の変化を、自律神経反応測定(HRV、SCR、呼吸)は心理的状態が身体の恒常性維持システムに及ぼす影響を、それぞれ捉えている。重要なのは、これらは心的状態そのものではなく、心的状態に随伴する生理的プロセスであるという点である。前頭前野の活動増加は「実行機能が働いている」ことの指標であるが、実行機能という心的プロセス自体ではない。心拍変動の低下は「ストレス状態にある」ことの指標であるが、ストレスという主観的体験そのものではない。測定されるのは、心的過程の物質的基盤(material substrate)であり、心的過程の生理的表現型(physiological phenotype)である。したがって、これらの測定から心的状態を推論する際には、必ず解釈の媒介が必要となる。この限界を認識したうえでなお、脳機能計測と自律神経反応測定は極めて価値がある。なぜなら、これらは主観的報告や行動観察では捉えられない、無意識的・潜在的・自動的な処理過程を可視化し、時間的・空間的に詳細な情報を提供し、個人差や状態変化を定量的に追跡することを可能にするからである。「こころ」の理解において、これらは不可欠な補完的情報源となる。
そのうえで、脳機能計測や自律神経反応測定から得られるデータの解釈には、慎重さが求められる。特に逆推論(reverse inference)の問題は重要である。順推論は「課題Aを行うと領域Xが活動する」という因果的関係であり、実験的に検証可能である。逆推論は「領域Xが活動しているから課題Aを行っている(または心的状態Aである)」という推論であり、論理的には妥当ではない。なぜなら、領域Xは課題A以外の多くの課題でも活動する可能性があるからである。例えば、扁桃体の活動から「恐怖を感じている」と推論することは、扁桃体が恐怖以外にも新奇性検出・注意・記憶などに関与することを考えれば、不確実である。逆推論が妥当であるためには、領域Xが心的状態Aに対して高度に選択的である(他の状態ではほとんど活動しない)という条件が必要だが、実際にはそのような領域は稀である。脳機能イメージング研究の多くは、実は逆推論に依存しており、その妥当性には議論がある。ニューロ還元主義(neuroreductionism)の罠も警戒すべきである。これは、心理学的・社会的現象を脳のメカニズムに還元することで説明し尽くせるという立場であり、「うつ病はセロトニンの不足である」「犯罪は前頭葉の機能不全である」といった単純化を生む。しかし、精神疾患も犯罪行動も、脳・身体・心理・社会・文化が複雑に相互作用する多層的現象であり、単一レベルの説明は不十分である。測定の妥当性も問われる。fNIRSや自律神経反応が測定しているのは、関心のある心的過程に随伴する生理的変化であり、心的過程そのものではない。例えば、HRVは自律神経バランスを反映するが、自律神経バランスは多様な心理的・生理的要因によって変動する。したがって、HRVの変化から特定の心理状態を直接推論することには限界がある。測定指標と構成概念(構成妥当性)、測定の信頼性、生態学的妥当性について、常に批判的に吟味する必要がある。

③ 従来の認知科学は、脳を情報処理装置として捉え、身体は入出力の装置に過ぎないと見なしてきた。しかし、近年の身体化認知(embodied cognition)のパラダイムは、認知が身体に根ざしており、身体なしには理解できないことを強調する。この視点は、脳と身体の統合的理解の必要性を示す。中枢神経系と自律神経系の双方向的連関は、脳-身体統合の重要な側面である。第8回で学んだように、自律神経系は脳(特に視床下部・扁桃体・島皮質)の制御を受けて内臓器官を調節する(脳→身体の下行路)。同時に、内臓器官からの求心性信号(心拍・血圧・消化管の状態など)は迷走神経などを通じて脳に伝えられ、情動・認知・意思決定に影響する(身体→脳の上行路)。この双方向的な情報の流れにより、脳と身体は絶えず相互作用している。
神経内臓統合モデル(Neurovisceral Integration Model)は、セイヤー(Thayer)とレーン(Lane)によって提唱された、HRVと認知・情動の関係を説明する理論的枠組みである。このモデルによれば、前頭前野を頂点とする中枢自律神経ネットワーク(Central Autonomic Network: CAN)が、認知的・情動的処理と自律神経調節を統合的に制御する。CANには、前頭前野・前部帯状皮質・島皮質・扁桃体・視床下部が含まれ、これらが迷走神経を介して心臓血管系を調節する。HRV(特にHFパワー)は、迷走神経の心臓への影響を反映し、CANの機能的統合性の指標となる。高いHRVは、柔軟な自律神経調節能力と、効率的な情動調整・実行機能を反映する。逆に、低いHRVは、硬直した自律神経制御と、情動調整不全・認知機能低下と関連する。このモデルは、うつ病・不安症・心血管疾患におけるHRV低下を、脳-身体統合の破綻として説明する。
皮膚電気活動と感情・認知の多層的理解も重要である。第9回で学んだように、皮膚コンダクタンス反応(SCR)は交感神経系の活動を反映し、情動的覚醒の指標とされる。しかし、SCRは、単なる情動の「出力」ではなく、認知プロセスにも影響する。ダマシオのソマティック・マーカー仮説(第11回参照)は、身体反応(SCRを含む)が意思決定を導く情報として機能することを示した。また、島皮質は皮膚からの体性感覚信号を受け取り、身体状態の内的表象を構築することで、主観的な情動体験の基盤となる。このように、SCRは情動と認知を媒介する双方向的なシグナルであり、脳-身体統合の一例である。

④ 単一の測定手法には限界があることを認識し、複数の手法を統合するマルチモーダル・アプローチの重要性が高まっている。特に脳活動と自律神経反応の同時測定は、認知・情動・行動の統合的理解に不可欠である。このような考えのもと、私自身の研究では、そのような同時測定を実現できるシステムを開発した。fNIRSと自律神経反応測定(HRV、SCR、呼吸)を時間的に同期させることで、中枢-末梢の相互作用を捉えることができる。情動刺激提示時に、扁桃体に対応する側頭部のfNIRS信号と、SCRやHRVの変化を同時記録することで、情動処理の脳-身体ダイナミクスを解明できるだろう。ストレス課題遂行時に、前頭前野の活動(認知的評価・対処)とHRV(自律神経調節)の時間的関係を調べることで、ストレスコーピングのメカニズムが明らかになるかもしれない。情動調整課題において、前頭前野による扁桃体の下方制御(fNIRS/fMRI)と、それに伴う自律神経反応の変化(HRVの増加、SCRの減少)を同時に測定することで、情動調整の神経生理学的機序が統合的に理解できる。
時間的同期の主要な意義の1つは、因果関係の推定にある。脳活動と自律神経反応のどちらが先行し、どちらが後続するかを調べることで、脳→身体の制御なのか、身体→脳のフィードバックなのか、あるいは双方向的相互作用なのかを検討できる。たとえば、意思決定時に前頭前野の活動がSCRに先行するか、それとも身体反応が先行して意思決定を導くかという問いは、ソマティック・マーカー仮説の検証に関わる。また、個人差と状態変化の理解も深まる。同じ課題でも、個人によって脳活動と自律神経反応のパターンが異なる。ある人は認知的対処(前頭前野活動増加)を、別の人は生理的反応(自律神経活動変化)を優先するかもしれない。このような個人差を捉えることで、個別化された介入(ニューロフィードバック、バイオフィードバック)が可能になる。
さらに、EEG/ERPとfNIRS/自律神経反応を組み合わせることで、ミリ秒単位の時間情報(EEG)と空間情報(fNIRS)、身体情報(自律神経)を統合した「4次元(空間3次元+時間)的理解」が可能になる。行動データ(反応時間、正答率)、主観的報告(質問紙)も加えた真のマルチモーダル研究により、こころの多層的・動的な性質が捉えられる。本科目で学んだfNIRSと自律神経反応測定は、まさにこのマルチモーダル・アプローチの中核的技術であったのだ。

⑤ 認知脳科学は目覚ましい発展を遂げたが、紀元前からずっと続く多くの根本的問題は未解決のままである。第一に、意識(consciousness)の問題がある。なぜ、どのようにして物理的な脳活動から主観的体験が生じるのか。この「難問(hard problem)」は、神経科学の範囲を超えた哲学的問題である。fMRIやfNIRSは意識と相関する脳活動を特定できるが、なぜその活動が意識を伴うのかは説明できない。第二に、個人差と普遍性の問題がある。認知脳科学の多くの知見は集団平均に基づくが、個人レベルでは脳の構造・機能・認知スタイルに大きな多様性がある。この個人差を無視した一般化は、個人の理解や個別化医療には不十分である。精密脳科学(precision neuroscience)への展開が求められる。第三に、発達と可塑性の問題がある。脳は生涯にわたって変化し続ける。胎児期から老年期までの発達的変化、学習による可塑性、損傷後の再組織化のメカニズムは、まだ十分に理解されていない。縦断的研究と介入研究の蓄積が必要である。第四に、社会的文脈と文化の問題がある。人間のこころは、社会的相互作用と文化的規範の中で形成される。二者間・集団間の脳活動同期(ハイパースキャニング)の研究は始まったばかりであり、文化神経科学も新興分野である。実験室を超えた日常的・社会的文脈での測定技術の発展が求められる。第五に、統合の問題がある。こころは、知覚・注意・記憶・言語・情動・動機づけ・社会的認知といった多様なプロセスの統合として生じる。しかし現在の認知脳科学は、各プロセスを個別に研究する傾向が強い。これらを統合し、全体としての「こころ」を理解する理論的枠組みは未完成である。「こころとは何か」に対する明確な答えは未だに出せていないというのが正直なところである。ただし、多くの心理学者、認知脳科学者の並みならぬ懸命な努力によって、ゆっくりに見えるかもしれないが確実に、前進していることもまた疑いようのない事実である。
「新しいこころの計測学」の確立に向けて、本科目で学んだ技術と知見は重要な基盤となる。fNIRSと自律神経反応測定は、脳-身体統合、日常的環境での測定、発達研究、臨床応用において強みを持つ。しかし、結局これらの技術も万能ではなく、限界を認識し、他の手法(fMRI、EEG、行動実験、質的研究、計算モデリング)と組み合わせる必要がある。科学者として、技術の可能性に期待すると同時に、その限界と倫理的責任を自覚し、謙虚で批判的な姿勢を持ち続けることが求められる。こころの科学は、学際的協働(神経科学・心理学・哲学・人類学・社会学・工学・医学)によってこそ、より豊かで統合的な理解へと進展する。心理学を徹底的に学び続けた皆さんとともにこれからの未来を見ていくことは、研究者・大学教員としての私にとっては、何者にも代え難い大きな生きがいなのである。これからも何気ない日常の些細な問いかけ、専門的に学んだ豊富な知識の両方を大切な財産としながら、「こころとは何か」「私とは何か」「人を愛するとは何か」「人を憎むとは何か」といったテーマについて考え続ける姿勢を持ち続けていってほしい。

キーワード ① 逆推論・ニューロ還元主義 ② 身体化認知 ③ 神経内臓統合モデル(Neurovisceral Integration Model) ④ マルチモーダル・アプローチ ⑤ こころとは何か
コマの展開方法 社会人講師 AL ICT PowerPoint・Keynote 教科書
コマ用オリジナル配布資料 コマ用プリント配布資料 その他 該当なし
小テスト 「小テスト」については、毎回の授業終了時、LMS上において10問の、当該コマの小テスト(難易度表示付き)を実施します。
復習・予習課題 【予習】
第15回のコマシラバスを読んで概要を理解しておく。また、コマシラバスを読む中で、わからない用語があればあらかじめ下線を引き、検索エンジンで検索しておき、講義中で理解できるようにしておく。第1回から第14回までの全講義の内容を簡単に振り返り、科目全体の流れを把握しておく。特に第1回の「こころを測ることの難しさ」、第3回の「各測定手法の利点と限界」、第8回の「自律神経系の生理学」を復習しておく。
【復習】
第15回コマ用オリジナル教材を読み返し、わからなかった部分は質問する、調べるなどして解決しておく。「脳を見ればすべてが分かる」という幻想の問題点(技術的限界、測定の意味の曖昧さ、非一対一対応、還元主義の限界)を整理し、具体例とともに説明できるようにする。脳機能計測と自律神経反応測定が測っているものの本質を、自分の言葉でまとめる。脳-自律神経同時測定の意義を自分の言葉でまとめ、なぜ単一手法では不十分なのかを説明する。認知脳科学の未解決課題(意識、個人差、発達、社会文化、統合)について、現時点での自分なりの考えを記述してみる。本科目で最も興味を持ったトピックについて、関連する研究論文を複数読んでみる(必要に応じて、担当教員あるいは他の教員に当該分野の論文について質問しても構わない)。

履修判定指標
評価方法
評価基準 評語
    学習目標をほぼ完全に達成している・・・・・・・・・・・・・ S (100~90点)
    学習目標を相応に達成している・・・・・・・・・・・・・・・ A (89~80点)
    学習目標を相応に達成しているが不十分な点がある・・・・・・ B (79~70点)
    学習目標の最低限は満たしている・・・・・・・・・・・・・・ C (69~60点)
    学習目標の最低限を満たしていない・・・・・・・・・・・・・ D (60点未満)
教科書
参考文献
実験・実習・教材費